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で、第二弾

お次は「紅珠の護り人」から。
「紅珠の護り人」

1.聖夜の出会い―

 鐘の音が響く。
 遠く風に乗って、何処からか賛美歌が流れてきていた。
「っハァ、っハァ……っ。ゲホっ、ゴホっ」
 薄汚れた路地裏に駆け込んだ途端、染みだらけの壁に縋るように手をつき激しく咳き込む。苦しさに滲む涙を拭う余裕すらないまま、それでも棒切れのような足を無理やり動かしてよろよろと路地の奥へ奥へと駆け続ける。
 少しでも遠くへ。
 少しでも暗がりに。
 此処から遠く離れれば追いつかれない。暗がりに紛れれば見つからない。
 夜のしじまを乱す靴音が近付いてくる恐怖に怯えながら、だただた闇雲に其処から遠ざかる―――逃げる。
 捕まりたくない。捕まるわけにはいかない。
 自分が悪いのは十分承知しているけれど、それでも今のオレにはコレが必要だった。
 抱え込んだ腕の中でジャラジャラと重い澄んだ音が鳴る。その音が追っ手に聞こえやしないかとぎゅっと懐深くに抱え込み、オレは幾つもの路地を態と複雑に駆け抜けながら仲間の下へと急いだ。 


 今夜は聖誕祭。
 敬虔な人々が祈りを捧げ、善良な一般人が浮かれ騒ぎ、恋人達が愛を語り合う夜。
 でも、オレたちのような家の無い子供には何の救いにも、まして何の腹の足しにもなりやしない下らないだけの夜。
 何処も彼処も灯りがあり、逃げ道を確保するにも難儀する最低の夜。
 それでも、親を持つ子供らが今夜の贈物にはしゃぐ姿を羨ましそうに見ていた小さな弟分、妹分達のために何かしてやりたいと思った夜。
 働いて稼げたならそれが一番良かったが、働こうにも日雇いの仕事場では成長期に十分な栄養を摂取できていない痩せぎすの体は頼りないと見なされ碌な稼ぎにならず、またオレのような子供をこんな何処も彼処もキラキラしている時期に雇いたがる店もない。この分では食い繋ぐだけで精一杯で特別な事なんてとてもしてやれない。
 夜の帳が降り始めるのも気にせず浮かれ騒ぐ人ごみの中、トボトボと背を丸めて歩いていたオレの視界に如何にも良家のお坊ちゃんって風の青年が映った。彼の身に付けている物一つで仲間が半年は生きていけるだろう高級品ばかりを当たり前に着こなしている。

 世の中はいつだって不公平に満ちている。
 敬虔な聖職者の祈りは天に届かず。
 善良な一般市民の善意は近隣に留まり。
 高位の聖職者は上ばかりで足元など気にもかけず。
 裕福な貴族や商人は寄る辺無き子供らを汚物でも見るように忌避し。
 執政に携わる者達は人だとさえ思っていない。

 ―――オレたちが『在る』のは『お前ら』の所為の癖にっ。

 怒りや憎しみに熱くなった脳裏に仲間の寂しそうな表情【かお】が過ぎった瞬間、オレは世の中の不公平のそのもののような貴族の青年の懐から財布をかっぱらっていた。


 走って。
 走って。
 幾つもの路地を抜け、幾つもの角を曲がって。
 夜の闇を駆逐する聖なる灯りから身を遠ざけながらただただ走り続ける。
「ッハ。まるで闇に潜む魔物だな」
 聖なる夜の灯火を忌避する己に自嘲の笑みが浮かぶ。
 だが、それも良い。
 オレたちを際限なく生み出し続ける奴らを『人間』というならば、オレは『魔物』で構わない。
 約束も誓いも薄っぺらい奴らが『人間』なら、オレは『魔物』になって仲間だけは裏切らずにいよう。
 散々裏路地を走り回ったオレが何度目かの角を曲がろうとした時、不意に角の向こうから伸びてきた手に腕を掴まれた。
 ぎょっとして振り仰げば、腕の中の財布の持ち主が裏路地の闇の中でオレを見下ろしていた。慌てて振りほどこうと暴れたが、青年の手はがっちりとオレの腕を掴んでいて外れない。青年はオレを強引に引き寄せると片腕で易々と側の壁に押し付け、空いた腕をオレに向かって伸ばした。
 ―――殴られるっ。
 オレは目を固く閉じ、身を固くし。
 ―――びしっ。
 全く予想外の場所に覚えた予想外の痛みに閉じていた目を大きく開き、青年の指に弾かれた額を片手で押さえた。
「ったく、こんの悪ガキがっ。俺様の財布を狙うなんざ100年早いっ」
 格好からは予想もつかないぞんざいな口調の青年を呆気に取られて見上げるオレに青年はニヤリと笑い、もう一度、今度は軽く額を指で弾いた。
「んな大金、それも金貨をお前が使うなんざ不自然すぎるだろうが。何に使う気か予想はつくが、店のオヤジに通報されてしょっ引かれるのがオチだぞ」
 青年はオレの腕から金貨が詰まった財布を取り上げ、代わりに一回り以上大きな袋を抱えさせた。
 ―――ジャラリ。
 オレも多少は聞き覚えのある音に袋の口を広げてみれば、そこには銅貨が袋いっぱい詰まっていた。掴まれていたオレの腕もいつの間にか解放されている。
「まっ、今夜は特別な夜だからな」
 あっさり背を向け、ひらひらと手を振って立ち去っていく青年の背中に向かってオレは―――搾り出すような怒声を放っていた。
「なんっだよっ。お貴族様が施しかよっ。哀れんでくださるってのかよっっ」
 無性に腹が立った。オレたちが一年間がむしゃらに働いても見ることも叶わないかもしれないほどの大金をぽんっと手放ばなせる青年に、『この程度』の金を施したところで何の痛痒も感じない存在に、どうしようもなく腹が立った。
 世の中は不公平だ。
 そんなこと今さらだが、何故これほどまでにあからさまに目の前に突きつけられなきゃいけない?
 まるで、その意味の残酷さが分からない子供が気紛れに野良猫に餌を与えるような気安さで!!
 オレの怒りの声に振り返った青年はじっとオレを眺め、楽しげに口の端を吊り上げた。
「なら、そいつは『貸し』といてやる。どんな形でもいい、いつか『返し』に来い」
 そして、青年はもう二度と振り返る事無く去っていった。
 オレも大きな大きな『貸し』を抱えて、今度こそ仲間の下へ戻っていく。
「ぜってー返してやるっ!!」
 その口元に知らず不敵な笑みを刻んで。



 有能だが型破りかつ灰汁が強いことで恐れられる青年貴族の傍らに、彼にして懐刀と言わしめる一人の青年が現るのは数年後のこと―――

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御月雪華

Author:御月雪華
自サイトにて、オリジナルと二次創作の小説を載せています。
蝸牛の歩みよりも鈍い更新速度ですが、興味のある方はどうぞお気軽にお越しください。

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