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第三弾

んでもって「紅瞳の魔術師」。
「紅瞳の魔術師」
 
1.始まりは崩壊と共に
 
 空間を埋め尽くす怒号と悲鳴。粗末な家々は悉く潰れ、全てを等しく炎が嘗め尽くす。
 不気味な赤い照り返しの中に皓々と照らし出されるのは、折り重なる幾つのもの肉塊と大地に染み込み焦げ付く赤黒い液体。
 かつて呼吸して動いていた住民の成れの果てと流された夥しい生命の源たる赤い血液の焼け焦げる吐き気を催す異臭に、吐き出すモノの既に無い胃に再び嘔吐感が込み上げる。
 苦しさや何かに滲んだ涙は、流れる間も無く水分を奪いつくす熱気に蒸発していく。
 目の前に文字通り横たわる火の海から逸らせない視線を無理やり剥がし遥か頭上を仰げば、真夜中の空は墨に血を流し込んだように赤々と染まっている。
 
 天も地も燃えていた。
 
 其処此処に焼け爛れた死体が打ち捨てられ、死人達は皆一様に恨めし気な眼【まなこ】を少年に向けていた。
 少年は彼らから目を逸らそうとしたが周囲はすっかり彼らに囲まれ、何処へ目を向けても彼らの視線から逃れる事は出来ず、彼らの声無き怨嗟が空間に陰々と降り積もっていく。
 彼らの聞こえるはずの無い呼び声に押され、無意識によろめくように一歩後ずさった足が何かに捕らわれ尻餅を着いた。
 少年が虚ろな瞳で振り向くと、彼に唯一優しかった母親が物言わぬ姿で黒く焼け焦げていて―――
「う、ぁ、あ、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!!!」
 少年の口から声にすらならない音が迸った。
 
 何が。
 なにが。
 ナニガ。
 
 如何して。
 どうして。
 ドウシテ。
 
 何で。
 なんで。
 ナンデ。
 
 嫌だ。
 いやだ。
 イヤダっっっ!!!
 
「かあさんっっっ!!!!!」 
 喉の奥から迸った全身全霊の叫びに、身体の奥深くからナニかが引き摺り出される。
 
 熱い。
 あつい。
 アツイ。
 
 うねりを帯びたナニか。
 酷く強大なナニか。
 畏れさえ抱くほどのナニか。
 
 コレは何。
 
 知らない。
 しらない。
 シラナイ。
 
 知ラナイノニ。
 
「いやだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!!」
 少年の絶叫に、込められた強い拒絶の意志に、周囲の見えざる何かが素早く、顕著に反応した。 
 
 周囲を取り巻いていた熱気が、嘘のように冷え凍えた。
 埋め尽くしていた死体が、早送りのように土に返り消えた。
 赤く染まっていた空が、覆いを取り除いたように深い闇に戻った。
  
 それは瞬く間の出来事だった。
 少年の意に沿わぬ全てが寄って集って拭われ、消され、目の前より消え失せる。
 それが何を意味するのか、少年は知らない。
 少年は何も分からない。
 それでも、それが酷く恐ろしい事だけは分かった。
 とてもとても畏れなければいけない事だけは知っていた。 
「化け物っっっ!!!!」
 振り向けば、運よく村の外に居て生き延びたのだろう村人の一人が、少年を指差し恐怖や憎悪やその他いろいろな負の感情が混濁した目で睨んでいた。
「やっぱり、お前みたいな化け物、とっとと殺しちまえばよかったんだっ」
 暗い暗い炎を宿した双眸が、視線だけで殺せそうなほどまだまだ幼い少年を射抜く。
 既に何処か正気を手放しかけている少年の虚ろな瞳に、燃え残った角材を手に殴りかかってくる男の姿が映る。
「死ねっ!! 黒狼【ヘイラン】っっ!!!」
 男が振り上げた角材を振り下ろす。
 少年が虚ろに見上げる。
 男の持つ角材が風を切って振り抜かれる。
 少年の小さな身体が背後から抱きかかえられる。
 重い音と共に角材が黒ずんだ地面を抉る。
 其処にはもう、地を抉る角材を手にした男しか存在していなかった。
 
 
 
◇◇◇◇◇
 
 
 
「―――――っ!!!」
 ガバリと毛布を跳ね飛ばして起き上がった青年は、荒い息を吐きつつ鋭い視線を周囲に走らせた。
 しかし、その視界に映るのは今やすっかり見慣れた自室の風景。物が碌に無い殺風景な四角い空間は朝を迎える寸前の濃い闇に包まれていて、何もかもが酷く曖昧で輪郭が溶けて見える。
「あ? ……夢、か?」
 はっと息を吐き、汗で額に張り付いた前髪を乱暴に掻き上げる。全力疾走した直後にも似た荒い呼吸を意識して静めれば、空間に音が響きそうなほど激しく脈打っていた心臓がゆっくりと落ち着きを取り戻していった。
「なんって夢見てんだよ。てーか、夢か、じゃねぇよ。夢じゃねぇだろ、自分」
 クッ。
 喉の奥で自嘲の笑みを噛み殺し、肘を突いた組んだ両手で額を支え苦い笑みを零した。
 アレは夢ではない。
 アレは過去。
 アレは記憶。
 アレは、十数年前に本当に在った事。
「はは……懐かし過ぎて泣けてきそうだな。いっそ泣いとくか?」
 四つか五つの頃の記憶をよくもまだ覚えているものだ。曖昧さもなく鮮明に、たった今目の前にしているような現実感で、未だ意図もあっさりとあの時に引き戻す。
 見せつける。思い出させる。
 護りたかったのに護れなかったもの。
 奪われてしまったたった一つの大切なもの。
 きっと一生忘れえぬ過去【きおく】。
 ギリっと奥歯を噛み締め、両手を爪が突き刺さるほど強く握り締めた。
 過去は唐突にふらりと現れては、忘れるなと言わんばかりに鮮烈に脳裏に蘇る。忘れられるわけも無いのに、それでもなお幾度も幾度も繰り返し。
「ちっ、くしょう……」 
 その日最初に差し込んだ朝の光の影で、青年は血が滲む拳に強く額を押し付けた。
 
 

 二度寝する気もせず自室を出て階下に下りれば、まだ早朝にも関わらず少なくない人数が何やら真剣な顔を寄せ合っていた。
「何だ?」
 只ならぬ様子に囲みの中心を覗き込めば、ランとも親しい青年が旅装姿のまま4、5歳の幼子を腕に抱え立っていた。どうやら旅路にあった魔術師が新入りを連れ帰ってきたらしい。
 確か新しい魔術薬の材料を探しに北大陸に出かけていたはずの友人は、ランの姿を認めると深刻な表情の中に微かに笑みを浮かべ小さく片手を上げた。
「おはよう、ラン。悪いな、騒がせてしまって」
 友人のすまなそうな謝罪に「いんや」と首を振り、ランは気にするなとばかりにひらひら片手を振った。
「はよ。別にこの騒ぎで起きたわけじゃねぇから気にすんな。で、新入りか? このおちびさんは」
 眠る幼子を起こさぬようそっと頭を撫でつつ問えば、友人は無言でこくりと肯く。
 友人の硬い表情や泥のように眠る子供の様子からも、どうやらこの子もまた、かつての己のように命の危機に晒されていたところを保護されたのだろう。いつもの事と言えばいつもの事だが、魔術師が幼い仲間を連れ帰る理由などたいていは保護目的だ。魔術師はその力故に多くが迫害され、また邪心を持つ者にも狙われる。旅路にある魔術師はそんな幼い魔術師を見つけた場合、速やかに保護し彼らの安息の地である〈忘れられた島【ヴェルゲッセン】〉に連れて来ていた。
 魔術師ばかりが暮らすこの〈島〉は、三つの大陸から等しく離れており、険しい海流と常に深い霧に包まれた海域に囲まれ余人の干渉を受け付けない。此処に辿り着けるのは精霊と心を通わせる魔術師だけで、〈外〉では様々な危険に晒される彼らが唯一心穏やかに暮らせる地だと言っても過言ではない。ヴェルゲッセンは魔術師たちの大切な安息の地であり、最後の避難所だった。
「ああ、偶然近くを通りかかったら、この子の村が魔術師狩りに遭ってたんだ」
「村は?」
 友人はそっと目を伏せ黙って首を振った。
 痛ましさと共に腕の中で眠る幼い子供を覗き込めば、血の気の失せた白い頬には涙の痕が在り、両手は確りと友人の外套を握りこんでいた。余程恐ろしい思いをしたのだろう。
 しかし、魔術師狩りとは穏やかではない。多くが魔術師の力を恐れ迫害する〈外〉では、時折権力者が魔術師を狩る事がある。それは、時に民衆の不満の捌け口とする為であったり、時に恐怖の対象を排除するためであったり、時に―――
「何処だ?」
「エスパーダ」
 ―――戦の戦力を得る為であったり、した。 
「本当に戦の好きな国だな。また何かやらかす気か」
 語気荒く吐き捨てれば、友人がすっと瞳を細めた。
「風の生まれる場所。時女神の眠る大地」
「っな!!?」
 友人の口から発せられた言葉に、ランは思わず絶句する。
 其処はランにとって特別な地。大切な恋人が暮らす、何者にも侵されてはならない〈二人の創世神〉の一人が眠る場所。
「狙いは時女神だろう」
「『永遠』かっ!!」 
 ガタンと音を立てて立ち上がったランは、周囲の驚きの視線も気にせず全力で窓に駆け寄ると躊躇なく塔外に飛び出した。
 重力に引かれるまま落ちていく耳元で風がうねりを上げる。息をするより当たり前に、惹かれて来た風の精霊の力を操りながらランは風に声を乗せて大切な養い子の名を叫んだ。
「銀【しろがね】っ!!!」
 大気を渡る呼びかけに応え、羽音が響くと共に頭上に大きな影が差した。素早く足元に移動した巨体の背に降り立ちながら、ランはもう一度叫んだ。
「エヴァンジェルの下へ!!!」 
 
 どうか、無事で――― 
  
 
2.偉大なる貴女に敬意を表す
 
 その地に足を伸ばしたのはほんの気紛れで、『彼女』に会ったのもまた偶然だった。
 そう、とてもとても幸運な―――
 
 
「へぇ、此処が〈竜の頤〉か」
 常人ならば凍え死にそうな寒気を精霊の好意によって緩和された青年は、目元まで覆っていた簡素な防寒布を顎の下まで引き下げ、衣擦れさえ凍り付きそうな冷たく澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込んだ。身体の隅々まで行き渡る冷気が齎す清涼感には何処か神聖さすらあり、この土地もまた神と縁深き聖域なのだと改めて実感する。さすがは〈始まりの島〉レゾへの〈道〉を秘めたる地。生半な神の座す地よりも格段に神気の濃度が高い。これ程の地で暮らすネーヴェの民達が、徳の高い神官にも通じるある種の高潔さを持つのも頷ける。
 何となく〈島〉を出て、何となく地涯を越えて、遠路遥々〈竜の頤〉にまで足を運んだのはただの気紛れだった。魔術師の最後の避難所である〈島〉は居心地が良く、間違いなく魔術師にとっての安住の地と言えたが、長く在れば無性に閉塞感を覚える事もあった。其処でしか穏やかに暮らせない事実が澱を生み、時間をかけて降り積もっていっては魔術師達を不意に旅に駆り立る。そして、彼らは〈外〉に再び触れ、時に傷ついた〈仲間〉を連れて再び〈島〉に帰って来る事を何度も繰り返した。まるで水や風の廻りにも似たそんな行為を魔術師は〈回帰〉と呼んでいた。
「〈回帰〉、か」
 最初にそう言った魔術師は、彼らの帰る地は〈島〉しか在り得ないと悟っていたのだろうか。事実、過去も現在も〈島〉から旅に出た魔術師が永眠の地以外の安住の地に留まった事はない。〈外〉は死以外で魔術師に安眠を齎してはくれなかった。
「『違う』事は、それほど受け入れ難い事か?」
 勿論、魔術師である事など気にせず受け入れてくれる者は決して多くはないが居る。しかし、かと言って彼らの傍に留まれば、今度は心優しい彼らまで魔術師を取り巻く様々な危険に巻き込んでしまう。だから、魔術師は〈外〉には留まらず、〈島〉に帰ってくるのだ。魔術師の唯一の安住の地へ。
「どうしろ、ってんだろうな。ほんと……」
 自分たちは、精霊と心を通わせる魔術師達は、『何か』傷つける為の争いなど望んでいやしないのに。ただ、『普通』の人間と同じような当たり前の日常を望んでいるだけなのに。
「どうして、聖痕持ちや神混じりには許されて、魔術師には許されないんだろうな」
 魔術師達は、この世界の理不尽さに最早怒りを通り越して倦み疲れている。希望を持たず、絶望も無く、ただそういうものだと悟っている。この世界を憎悪するには、魔術師達は精霊と深く同調し過ぎて、世界を愛していたから―――
「〈二人の創世神〉に直接訴えにでも行くか?」
 微かな苦笑を口の端に浮かべ、小さくごちる。それも良いかも知れない。何の解決にもならない事は解っているが、愚痴くらい盛大に吐き出しても良いではないか。そもそも創造者には、創造物に対する責任くらい在ってしかるべきだろう。
「母神と時女神、どっちなら聞いてくれんだ?」
 冗談混じりに、半ば本気で検討しだした青年の頭上から不意に大きな羽音が響き、周囲ごとすっぽりと覆う大きな影が落ちた。
「何だ!?」
 驚き見上げる青年の目の前で、陽射しの照り返しに輝く雪の色にも似た曇りない銀【しろがね】の巨体が大きく旋回する。壮麗なまでに見事な肢体は今まで見たことが無いほど大きく、しかし、その動きは水中の魚の如く滑らかかつ優美で巨体ゆえの鈍重さなど微塵も感じさせない。
 神を除き、この世界で最も大きな魔力を持つ最強種、竜が其処に居た。
 銀の竜は異邦人である青年を美しい純銀の瞳で真っ直ぐに見つめると、降り積もった雪を羽ばたきの起こす風に歌い上がらせながらゆっくりと降りてきた。
「この極寒の地に異邦の民が訪れるなど珍しい」
 複数の管弦楽器を一度に鳴らした様な不思議な声。豊かに響く声音は歌うかの如き抑揚で耳に心地良い。雪に溶ける銀の竜は、深い知性を秘めた純銀の双眸で遥かに小さき人の子を見下ろした。
「お主。ヴェルゲッセンの、〈忘れられた島〉の魔術師か?」 
 瞳を眇め、『何か』を見定めるように視線を強くした竜は、数度瞬き青年を見下す。
「ああ、よく分かったな」
「お主ほどの強大な魔力の持ち主が平穏に生きられる地など、彼の〈島〉くらいのものだ」
 ご名答とばかりに首肯した青年に、竜は軽く両翼を羽ばたかせ柔らかな声音で歌うように言葉を紡いだ。耳に心地良い声は耳に痛い言葉を優しく和らげてくれたが、青年は軽く肩を竦め苦い笑みを浮かべる。
「正論過ぎて反論する言葉もねぇな」
 竜は青年の苦笑の意味を正しく理解し、しなやかで優美な首を静かに振った。
「この世界は、身に宿す魔力が強ければ強いほど寿命も長く、老化も遅い。人の子であるお主達にとって、同族でありながらその殆どが短命な者ばかりの世界で暮らすのは、さぞかし生き難かろう」
 だから、仕方がない。
 そんな言外の言葉に素直に頷けるほどまだ悟りきれてはいないが、竜の言葉は尽く正しく、全ての魔術師が薄々は自覚している事実だ。それでも、人の女の腹から生まれ落ちる彼らは、出来得るなら人の中で暮らしたいとも思うのだ。それが限りなく望み薄の儚い願いだと知ってはいても。
「まあ、魔術師が人の世では生き難い理由なんてそれだけじゃねぇけど、それも理由の一つだな」
 自分など、それでなくとも黒髪紅瞳なんて言い伝えの〈魔王〉を髣髴【ほうふつ】とさせる異相で気味悪がられ不吉呼ばわりされていたのに、さらにいつまで経っても成長しないなど、閉鎖がちな辺境の地では化け物呼ばわりされても無理なかっただろう。聖痕持ちや神混じりならまだしも、純血の人間でありながら神級の魔力を持つ自分は〈島〉ですら異例で異端だった。尤も、魔術師は誰もが多かれ少なかれ精霊に感化されるものだから、化け物呼ばわりする奴は一人も居なかったが。
 ただ、今だからこそ思うのは、村中が異端視する中、それでも、抱きしめ、口付け、慈しんでくれた母親こそが何より尊い奇跡だった。
「母親ってのは偉大だな」
 昔を思い出し唐突にぽつりと呟いた青年に、竜は瞳を細め大きく首肯した。
「うむ。良いことを言うな。我もそう思う。『母親』とは須らく偉大な存在だ。己が身の内にて他者を養い育て、やがて時満ちれば命すら懸けてこの世に産み送る。それは、言うなれば世界に対する無償の奉仕だ。上限の無い慈愛だ。真に称えるべきは父親ではなく母親よ。そもそも、この世界とて母神によって生み出されたのだ」
 重々しくも誇らしげに、敬愛の念を込めて同意する竜に、青年も真摯な眼差しで深く頷いた。
「ああ、俺もそう思うよ」
 俺を恐れた父親よりも、俺を慈しんだ母親こそが偉大。真に感謝するべきは、己を削ってこの世に送り出してくれた母親という存在。
「ふふふ、我ももう直ぐその母親の仲間入りをすると思うとなかなか面映いものだな」
「って、あんた、女だったのか!?」
「お主、随分と失礼な男だな」
 竜とこんな間近で遭遇したのは初めてで性別など分からなかった。しかし、よくよく声を聞けば、高く澄んだ響きは女性特有のものだろう。思わずまじまじと見つめた青年を『彼女』は半眼で睨み付ける。
「あ~~、悪い。竜に会うのなんて初めてで、性別が分からんかった」
「やれやれ、我も伴侶と連れ添うて長い身だ。その程度の事で目くじらを立てていては、子供じみていると言うもの。母になるこの身に免じて許してやろう」
 素直に謝罪をすれば、仕方ないとばかりに寛大なお許しを下さった。全面的に此方が悪いので多少偉そうでも聞き流しておく。竜の婚期がどの程度なのかは知らないが、伴侶と連れ添って長いのならば人の子の言葉を軽く聞き流せるくらいには長い時を生きているのだろう。
「しっかし、そんな歳で子供を産むのか?」
「お主、女に歳の話とは。埋められても文句は言えんぞ」
 さすがに今度は女性として聞き流せる台詞ではなかったか、怒気を込めて睨み付けられる。しかし、青年は真っ直ぐな眼差しで見つめ返した。
「んなこたどうでもいいんだよ。あんたの歳で出産なんて、母子共に危険すぎるんじゃねーのか?」
 本気で此方を心配する青年の真摯な言葉に、『彼女』は怒気を引っ込め静かに微笑んだ。
「もとより覚悟の上だ。この子は愛した男の忘れ形見だ。産まぬなど考えられぬよ」
 そっと、そぅっと。
 労わるように己の腹部を撫で、『彼女』は優しく、優しく微笑んだ。
「のう? 出産とはそもそも命懸けのもの。それでも、女達が子を産むのは何故だと思う? 子が可愛いからだよ。己が腹の中で育つ無力で稚【いとけな】い命を愛しいと感じるからだ。母親とは多かれ少なかれそのようなものなのだろうな。同じ母親になって初めて知ったよ」
 牙を剥き出しにするその表情は威嚇にも似て恐怖を覚えそうなものなのに、不思議と笑顔にしか見えなかった。
 母となる『女』の深く静かな表情に気圧された青年は、思わず詰めていた息を吐き出した。どうして、母親という存在はこうも強いのだろうか。男の強さなど、きっと彼女らの足元にも及ばない。
「のう。お主、この子の養い親にならぬか?」
「ばっかやろ。何寝惚けた事ほざいてやがる。弱気になってんじゃねぇよ」
「事実を在りのままに受け止めるのもまた大切な事。我はこの子には健やかに育っていって欲しい」
 『彼女』の台詞に弾かれたように顔を上げた青年に、『彼女』は穏やかに微笑んだ。穏やかな、穏やかな、母親の最期を思い出す穏やかな双眸。
 忘れたくて、忘れられなくて、忘れたくなくて、封印した記憶。炎に包まれた夜、彼の母親もまた我が子の事だけを考えて、穏やかな眼差しで逝った。彼を腕の中に庇い、代わりに傷を負って逝った。
「のう? この子を護る腕を貸してくれぬか。この子が独りで生きられるようになるまで傍にある温かい腕になってくれぬか」
 『彼女』の姿が、生まれてくる我が子の幸いを願う姿が、母の姿と重なった。
 だからだ。
 会ったばかりの名も知らぬ『彼女』の望みを叶えてやりたいと思ったのは。
「―――名前、何てんだ。まだ無いなら俺がつけてやるよ」
 名付け親として、生まれてくる『彼女』の子供を護る者になろう。
 この腕で、今度は自分が幼い命を護る者になろう。
「うむ。良い名をつけてくれ」
 『彼女』は満足そうに笑むと、そっと青年に身を寄せた。青年は『彼女』の腹部に触れ、優しく微笑み、其処に居る新しい命に話しかけた。
「んじゃ、お前は今日から銀【しろがね】だ。宜しくな、未来の俺の可愛い養い子」
 そして―――
「親愛なる友であり、偉大なる母親である貴女に、心よりの敬意を表する」
 『彼女』を見上げ、眩しそうに微笑んだ。
  
 
 
 ◇◇◇◇◇
 
 
 
 育ての親である魔術師を背に乗せた銀竜は思いを馳せる。
  
 ランはきっと知らないだろう。
 
 ランと母竜の会話を母の腹の中でいつも聞いていたという事。
 ランと母竜の遣り取りを驚くほど鮮明に覚えているという事。
 ランに名付けられた時、本当に嬉しかったという事。
 そして。
 こうしてランに頼られる事が、力になれる事が本当に嬉しいのだという事。
 
 この胸にある言葉にできない温かな想いの一部でも、いつかランに伝えられたら良い―――

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お!

新ストーリーが動きだしましたね!
大型の予感!!

ねがわくば雪華さんが仕事の忙しさを理由に放置しません様に~
(´A`)

いや、どうでしょう(汗)

まだ動き出していませんよ、と(汗)。
動きを止めて年単位の話の一部を引っ張り出してきただけです(乾笑)。
この三話だけが最初の部分を書いていたのですよねぇ。
他はクライマックスとかエンディングとかが書けていてお見せできない(苦笑)。
ぼちぼち書いてきます。
プロフィール

御月雪華

Author:御月雪華
自サイトにて、オリジナルと二次創作の小説を載せています。
蝸牛の歩みよりも鈍い更新速度ですが、興味のある方はどうぞお気軽にお越しください。

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