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『喰う』のか、『喰われる』のか

妙に真面目な話なのとアレなのとで、駄目だと思われましたなら速攻見なかった事にして下さい。
いえ、表現が多少露骨なもので(汗)。
男が女を抱く事を「喰う」と表現しますが、どちらかと言えば逆なのではないかと思います。身体の造りから言っても、『鞘』である女が『剣』である男を『受け容れる』、即ち『喰らう』のではないのかと。
『喰らう』と言う行為は、己の内に他者を取り込み、己の一部と成すことです。「頂きます」と他者の命を『喰らい』、己の生を繋げる糧とする行為です。
女は閨にて男を『喰らい』、己が胎内にて『喰らった肉』を『己の肉』と『捏ね合わせ』、新たな命の『受肉』と成しますが、交わったところで排泄するだけで何も取り込めない男が『喰う』と表現するのは、何か違うのではないか、と。
前述したように、『喰う』とは己とは別個である何かを『取り込む』こと、『取り込み』『己の一部と成す』ことです。それを踏まえるなら、『喰う』のは寧ろ、男の一部を『取り込み』、一時的にしろ『己の身体と“繋がっている”己の身体の延長』と成し、己の命を刻む心臓にて命を刻み、己を生かす摂取にて生を育む、赤子を孕む女こそが男を『喰らう』のではないでしょうか?
女が男の『喰い物』なのではなく、男こそが種の繁栄のため遺伝子の単位より女に奉じられた『喰い物』なのではないかと愚考するのです。

だからこそ、唯一神信仰が好きではないのですが、ね(苦笑)。
キリスト教を始め唯一神信仰の神話では、ただ一人の神=男神であり、其れ故か教義の端々に男尊女卑の思想が散りばめられています。
ロマンの欠片もありませんが、チャペルでの結婚の誓いの言葉にさえ深読みするまでもなく男尊女卑の思想が反映されていて、友人の結婚式で神父の誓いの言葉を聞き、雰囲気そっちのけで意味を理解していくにつれ「私は絶対誓えんなぁ」と酷く冷めた思いを抱きました。
「女は男の肋骨から作られた」とか、「女の好奇心から世界に不幸が飛び散った」とか、「女にうつつを抜かして堕落した」とか、って(呆)。それを言うなら、「女が子を孕まなければ男は勿論、種そのものが絶える」し、「男の支配欲や顕示欲が常に争いの発端である」し、「美人の女房に鼻の下伸ばして仕事サボったのは自己責任じゃないんかい」とかとか、いろいろいろ言いたい事はたっぷりありますが、こんなにも随分侮辱し捲くりな教義に心酔する女性信者は教義の隅から隅まで熟考したうえで教義に賛同しているのでしょうかねぇ。読めば読むほど腹が立ちますよ? あの手の神話って。
そもそも、男が女の『所有物』でないのと等しく女もまた男の『所有物』では決して在り得ないのです。
男女不平等なんて当然です。男と女が違うのは当たり前です。何故なら生まれた時より与えられた『役割』が違うのですから。
女の『鈍さ』が、『異物』を胎内にて育てる矛盾と、体型を大きく違えるほど育った生命体を体外に排出する激痛に耐える為の必然ならば、男の『強さ』は、己を削って新たな命を育む『命の揺り籠』をあらゆる障害から庇護する為の進化です。そこら辺を履き違えている男は万死に値しますね(にっこり)。
己以外の至高の存在を認めず、慈愛と畏れを両手に乗せる女神達を片っ端から悪魔に堕したキリストの神とその信者に言いたい、
「男が一人で子供を作れるか? 女は理論上処女妊娠って手もあるけどね?」

それに比べて多神教は概ね男女一対で考えられているのが好ましいです。
男の欠けた部分を女が補い、女の脆い部分を男が補う。
例えゼウスが乱心しようとヘラがそれを諌め、イザナミが怒りに世界を呪おうとイザナギが何とかして帳尻を合わそうとする(イザナギの約束破りが原因なんですが/苦笑)。
互いの欠けたところを補い合う誰かが居るだけで、とても心強く心安らぎます。「間違っても大丈夫。ちゃんと後でもフォローできる」、そう信じられる環境って理想だと思います。「行き詰ったらまず相談」それって、理想の夫婦の形ではないのでしょうか?

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ちょっと意外

おぉ、なかなか熱い文章ですね!

とりあえず“食う”は既に死語になってる気がします…(最近は“打つ”って言うらしいです)。

どちらにしろ
共同作業である性交を一方的な目線で語る事で
女性にも備わってる意思や性欲を無視した、品のない表現である事には違いないのですが。


ちなみに
男性が性交を食うと表現していたのは『女は植物(美味しい果実)、男は動物』という認識がまん延していた為でないかと。

でも
植物的(おしとやかで美しく、上品で儚い)ヒロインをよく描く雪華さんが
そういう怒りを内面に抱えているというのは、アンビバレンツというかちょっと
不思議な感じがしました。

植物的ヒロイン……(絶句)

こんばんわ、アッコセントさん。

うちのヒロイン植物的ですかぁ!!?
いったい何処をどうすればそんな大和撫子なヒロイン像が…………(ぽむっ)一番私の内面が『そのまんま』表れてるヒロイン(?)はまだ表に出していませんでしたね。
大丈夫です。シヴァやネイが表に出てくれば、そんなぶっ飛んだ勘違いは直ちに修正されますから(にっこり)。
私の理想のヒロインはリナ=インバースです。聖書はスレーヤーズです。モットーは女尊男卑。恩は二倍、仇は三倍返し。転んでも只で起きたら貧乏人。壁は登るものじゃない、蹴倒して行くものである。
うわぁ~~~、早くシヴァが書きたいっ!!

「男は剣、女は鞘」って言いますよね?
抜き身の剣は斬るべきでないものまで傷つけ、剣無き鞘は鞘に在らず。二つで一つの存在なんですよ、ってことかなぁと。
だからこそ、剣は鞘を労わり、鞘は剣を優しく包み込むように。よーするに、男女どちらも相手を大事にしなさいよ、ってのが私論なのです。

そんなこんなで、うちのテーマは「一緒に生きよう」「ずっと傍に居るよ」なのだったりするのですよ、と(笑)。

初めまして。明と申します。

男尊女卑って、文明の中でつくられてきた思想なんですよね。
先史時代や原始的な生活を営む人々には、女尊男卑の思想がありますし。

そもそも性別というのは、生物学的に見ても女が基本形。
無性生殖を行う生物がいますが、あれに敢えて性別をつけるなら間違い無く女。
子孫を残す能力を備えているのは女であり、生物として、男は何が何でも女を守らなきゃいけない筈なんです。男だけでは子孫は残せませんから。

本当にその辺を勘違いしている男どもの多いこと。
女性は溜息をつきたくなっちゃいます。

はじめまして

初めまして、明さん。

私論ただ洩れ日記にここまで反応があるとは思いませんでした(苦笑)。吃驚です。
そうですよねぇ。犬や猫にだって相手を選ぶ権利は次代を残す女が有するのに、どうして人間だけは子供を産めもしない男がしゃしゃり出てくるのでしょうねぇ。
歴史を紐解けば、夫が妻を束縛する(家に押し込める)地域って吃驚するくらい沢山あります。一夫多妻制も。これらは、自分の遺伝子をより多く残したいという根源の欲求に因る行動なのでしょう。無理も無いと言えば無理も無いのでしょうね。女の産んだ子供は間違いなく母親の遺伝子を継いでいますが、『本当に父親(夫)の遺伝子を継いでいるのか』なんて事は男には生涯確信できませんものねぇ(笑)。
職業軍人は出征中に妻が浮気しないように確り浮気防止して行き、王は妻を後宮に閉じ込めさらに宦官に世話をさせて自分以外の遺伝子が残らないよう防止する。
何とも滑稽ではありませんか? 女を法と権力で雁字搦めに自分に束縛していないと、自分の血が確かに次代に継がれていったと確信できない彼らに哀れみすら覚えます。
とは言え、男尊女卑、亭主関白を振りかざす勘違い男に寛大な心で接する気は『全く』ありませんが(にっこり)。
「俺が女房子供を食わせてやってるんだっ。尽くすのは当たり前だっ」なんてほざいてる勘違いさん、貴方の生活を彼女が支えているからこそ仕事に専念できているんだ、って事実は理解できてますか? 貴方が彼女に渡す稼ぎは彼女の労働に対する正当な対価であり、彼女が貴方を世話するために行う労働は貴方の稼ぎへの対価です。夫婦って本来平等なんですよ?

世の中の既婚男性諸君に一言。
家事も子育ても家計の遣り繰りも、労働力に換算すれば旦那さんの給料に匹敵するんだ、と言うことをきっちり念頭に置いた上で、偶には「いつも有難う」の一言くらい奥さんに言ってあげましょうね。

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此方こそ、いらっしゃいませ~

初めまして赤井さん。

この記事、本当に意外なくらいに反応があって吃驚です。
特に取り立てて、怒っても、嫌っても、文句言ってもいないんですけれどね(苦笑)。ただの主張ですし。

しかし、クリスチャンの方から真面目な反応を頂けたのは嬉しいです。やっぱり信仰者の方でも男尊女卑の印象は受けるのですね。何となく安心しました。
聖書には確かに重要人物に聖女マリアが上がっていたりと女性の事柄も書かれています。ただ、それらを踏まえてなお私が聖書に拒絶反応を起こすのは、「イヴはアダムの骨から生まれた」と「唯一神」の二つの事柄が私の根本と相容れないからでしょうね(苦笑)。前者は、“女は生まれながらに男に属している”、“男が居たから女が生まれたのだ”と言う当時の男達の主張に聞こえます。寧ろ生物論から考察するに逆だと思うのです。世界の成り立ちは『まず雌在りき』だと。後者は、当記事もしくは一つ前の記事に書いているように“一人では間違ったときに誰も訂正できなくて怖い”から、複数の神々が持ちつ持たれつしている多神教の方が安心感があるのです。特に、雌雄一対の考え方。男も女もどちらも同じだけ必要、この考えは納得できて好きです。

結局のところ、真面目な宗教論ではなく“青少年の主張”の如き己が主張なのですよ、と(苦笑)。
極論を言えば、信仰は自由かつ他者を侵害しなければお好きにどーぞ、ってタイプです。
別にね、良いと思うのですよ、隣の人が何を信じていても。迷惑行為さえしなければ、お釈迦様に祈ろうが、不動明王を崇めようが、お稲荷様を祭ろうが、キリストを称えようが、アッラーを拝もうが、好きにすればいいと思うのですよ。ええ、重ね重ね、迷惑行為さえしなければ。
心の拠り所なんて人それぞれで良いと思うのです。お祖母ちゃんに貰った近所の神社のお守りを大事に持ち歩くのも信仰なら、随分昔に姉に貰ったお土産を験担ぎに大事に持ち歩くのもまた信仰でしょう。
そんな優しくも温かなものが信仰であって欲しいのです。
プロフィール

御月雪華

Author:御月雪華
自サイトにて、オリジナルと二次創作の小説を載せています。
蝸牛の歩みよりも鈍い更新速度ですが、興味のある方はどうぞお気軽にお越しください。

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