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発掘物

数年前に余所様に贈らせて頂いたブツが出てきたので載っけてみます。
設定は、贈らせて頂いたサイト様のオリジナル小説から主人公の一人の両親話を書かせて頂きました。
これを書いていなかったらMyサイトを立ち上げようとは思わなかったでしょうねぇ。
「惑星【ほし】を覆う大樹の傍【かたわら】で-Fairy tale of Ransilnia-」

Prelude

 『彼女』は、其処に居た。


 視界全てを埋め尽くす樹肌。
 地平の彼方まで覆ってもまだ尽きぬ枝葉。
 それは、凛とした凍てつく大気の中、鮮やかな深緑纏う――――――一本の大樹。

 その大きさに圧倒され。
 その威容に畏怖を覚え。
 その存在に安らぎを感じた。
 寄らば許される、神殿の空気に似て――――――

 どれだけ立ち尽くしていたのか。一瞬にも、何時間にも思える。
 不思議と寒さは感じなかった。吐く息は白く、その場の気温を教えてくれたが、何故だろう、寒いとは思わなかった。
 心奪われていたからかもしれない。この目の前に聳える大樹に。
 その有様は、生命【いのち】そのものだった。
 無性に触れたくなり、手を伸ばす。しかし、幹に触れる寸前、手を止める。――――――触れてはいけない気がして。
 伸ばした手を胸元に引き寄せ、そっと両手を組んだ。
 神へ祈りを捧げる様に。

 閉じた瞼を透かして緑の光が射した。
 瞼を開き、顔を上げる。見上げた視界に映るは、枝を離れ舞い落ちてくる一片【ひとひら】の緑葉。
 両手を伸ばせば、惹かれたようにその掌の中に舞い降りて来て。触れたと思ったら、淡雪の如く溶け込んだ。
 だから、解った。
 今この瞬間、自分の身体【なか】に『彼女』の祝福を受ける生命【いのち】が宿った事が――――――





 厚いカーテンに遮られた窓の向こうは、夜明けの薄明かりに包まれている。もうすぐ日が昇り、また新しい一日が始まる。
 小さく身じろぐ気配に、起こしてしまったかと覗き込めば、今だ隣人は夢の中。そっと指先を伸ばし、眠る夫の髪を梳いた。硬そうに見えて意外に柔らかな黄色の髪は、彼女の密かなお気に入り。彼女には大きすぎる寝台は、背の高い彼にはまだ少し小さいくらいで、いつも身体を丸めて眠っている。子供の頃から変わらない寝顔に、知らず優しい微笑が零れた。
「ねえ、レイウット。貴方、父親になるみたいよ?」
 それも、私たちの神―――――ユグドラシルの祝福を受けた子の。
 妻の声はほとんど大気を揺らす事なく、夫の眠りを妨げるものではない。それを承知で囁きかける。
「どんな子かしら?貴方と同じ髪かしら?私とそっくりの瞳かしら?」
 そして、どんなヒトを愛するのかしら?
 緑の瞳のナウラは、目の前で眠る愛しい男【ひと】と、もうすぐ会える我が子を想ってふわりと微笑んだ。





 『彼女』は、其処に居た。
 全ての生命【いのち】を見守り、司る、全ての子供らの『母』は、凍てつく大地に凛と立ち、その根は普く地表を覆い、命芽生えるところ全てに存在している。
 『彼女』は、何処にでも居た。
 星そのものを「場」とする彼の精霊は。



1.いつか届くように-reach some time-(child age& fourteen‐fifteen)

<0>

 『成人の儀』

 それは大人として認められる為の儀式。
 15歳を迎える年から始まり、期限は無い。
 単独で行っても、連れ立って行っても良い。
 条件は唯一つ、己の瞳と同じ色の『石』を見つける事。
 唯、それだけ。

 自ら動かねば、決して見出す事はできない。
 そして、見つけられないうちは、成人とは認められない。





 パタパタパタ。
 階下から足音が近づいてくる。軽い足取り、ナウラだ。足音が止まり、ぴょこん、と扉代わりのタペストリーから少女が顔を覗かせた。
「レーイ。成人の儀の事なんだけど、どうする?」
 少女が開口一番に口にした台詞に、窓枠に腰かけ掌の中の何かを眺めていた少年が顔を上げた。
「俺は既に取得済みだよ」
「いつの間に!?」
 レイウットの返答にナウラは心底驚く。この幼馴染とは生まれた時からの付き合いになるが、今までお互いの知らないところで動いた事はなかった様に思う。何処に行くにも二人一緒で、そうでない時も互いの行動は知っていた。
「俺、子供の頃、ユグドラシルの下まで行こうとした時があっただろ?あの時に、ね」
 ナウラの問いにレイウットは苦笑しながら答えた。今では懐かしい思い出だが、思えば随分無謀な事をしたものだ。しかし、どれほど無茶だと理解していても、同じ岐路に立つたび、きっと自分は何度でも同じ選択をする。その選択肢は、決して譲れないから。
 何時の事だったか考えているナウラから、掌の中の『石』に視線を戻す。
「自ら動かねば、決して手に入らない、か。確かにね……」
 あの時動かなければ、コレは手に入らなかった。
 『今』も無かった。
「元気にしておられますか……
俺も、ナウラも、貴方が預けてくれた蒼姫【そうひ】も、皆息災ですよ」
 レイウットは冬の高い天【そら】を仰ぎ、小さく呟いた。


<1>

 あれは10歳になる前の冬の頃。
 ナウラが病気になった。何日も高熱が続き意識が戻らない。医者も、誰も、どうする事もできない。

 どれだけ祈っても、祈りは届かない。
 だから、レイウットは決めた。
 ユグドラシルの下まで願いに行こう、と。





 視界全てを埋め尽くす樹肌。
 地平の彼方まで覆ってもまだ尽きぬ枝葉。
 凛とした凍てつく大気の中、鮮やかな深緑纏う一本の大樹、『生命の樹【ユグドラシル】』。

 彼は、『彼女』の傍らに佇んでいた。
 炯々と光放つ左瞳で、もうずっと前から『彼』を――――――『彼ら』を『見て』いた。
「ユグドラシル、彼らがそうなのですね」
 青年は大樹を仰ぎ、呟く。
「見え過ぎると言うのは嫌なものですね。最愛のヒトと離れる事すら選択しなければならなくなる……」
 青年は、望まぬ力持つ左瞳を掌で押さえた。





―――ぜぇ、ぜぇ。

 進んでも、進んでも、視界は白一色に染まっている。

 ―――ザクッ。ザクッ。ドザァァアアアア。

 何度も埋り、何度も這い上がり。

 ―――ザクッ。ザクッ。ザ、ドサァッ。

 何度も倒れ、何度も立ち上がり。

 ―――ザクッ。ザクッ。ザ、ズザザァァアアア。

 何度も転がり、何度も這い上がって。

 ―――ぜぇ、ぜぇ。けほっ、げほごほこほっ。

 目指す、彼らの神が座す所を。



 精霊とはそこに在るだけの存在。彼らを動かすのは人の願いであり、祈り。
 だから、『彼女』の下に行く。
 絶対にこの声が聞こえる場所に。届かなかったなんて言えない場所に。『母』の御許に――――――
 どんなに大変でも、この命懸けても、行く。
 彼女を失いたくないから。
 死神になんて、彼女を渡さない。
 俺から彼女を奪うなんて、何者でも許さない。
 だから、我等の神の下へ、この声の聞こえる場所へ、この祈りの届く場所へ――――――



 何度目に倒れた時だろう。
 雪の白だけが支配する世界に、不意に紅が過ぎった。鮮やかな炎の色に似た真紅。
 雪と氷の世界に現れた灯火が、迷いのない動きで此方に近づいて来る。
「……な、に…?」
 側に来るにつれ、神官衣を纏った青年の姿が白い世界にくっきりと浮かび上がってきた。
 青年はレイウットの眼前で立ち止まると、倒れたままの彼に手を差し伸べ抱き起こした。
「この様な所まで、たった独りで――――――随分と無茶をしましたね」
 優しい声。優しい眼差し。
 小さな体を片腕に抱き上げ、もう片手で髪や服についた雪を払う。凍りつくほど冷たい頬に温かな掌が触れた。
「大事はありませんか?レイウット」
 緋色の髪が日に焼けた額の上でさらりと揺れ、紫の双眸が限りない暖かさを湛えて少年を見つめた。
「だ、れ?何で、俺の名前を?」
 不思議と警戒心は沸かなかった。その全てを包み込む双眸に猜疑も、警戒も全て吸い込まれてしまった様に。
「……この瞳の意味をご存知ですか?」
 青年は最初の問いには答えず、己の左瞳を示した。紫水晶に似た左瞳には古【いにしえ】の文字だろうか、何かの刻印が刻まれている。それは、眠り続ける女神に接触した証。
 知識の有る者が見れば一目で分かったのだろうが、幼い少年はその瞳の意味を知らなかった。きょとんと小首を傾げる仕草に知らず唇が綻ぶ。
 『彼女』と別れるのは辛いが、この少年【こ】がこのまま真っ直ぐ生きていってくれるのならば――――――
「一年前、この瞳が貴方を『視ました』。見渡す限りの雪原を何度も埋もれながら、たった独りで進もうとしている貴方を。その理由を」
 青年の言葉を理解できず、途惑うレイウット。そんな少年の頭を優しく撫で、青年は柔らかく瞳を細める。
「放って置けないでしょう?」
 穏やかな瞳をした青年は静かに微笑んだ。
 何もかもを許される様な空気に包まれたレイウットは全身の力を抜きかけ、だが不意に思い出し青年の腕の中で身じろいだ。
「俺はユグドラシルに会いに行かなきゃいけないんだ!ナウラが、俺の幼馴染が病気なんだ!!凄く大切な娘【こ】なんだ!!だから!!!」
 激情を叫ぶ幼い唇を、青年の人差し指がそっと押さえる。
「言ったでしょう?理由も知っている、と。その娘の薬なら私が持っています。だから、貴方はもうこれ以上無茶をしなくて良いのです」
 青年の凪いだ声は、焦りや恐怖に急き立てられる心に静かに染み入ってくる。自分でも気づかないうちに頑なに強張っていた心が、そっと解されていく。
 まるで身内に対するような、絶対の信頼感、安心感。
「何で?どうして助けてくれるんだ?会った事もなかったのに」
 当惑と困惑。
 眉を寄せて、小首を傾げて。感情を隠しもせず顔いっぱいに表す少年の姿に、青年の顔にも自然に微笑みが浮かぶ。
 なんて、愛おしい――――――
 子供を持てない身を、初めて哀しく思った。
「私の左瞳が貴方を『視た』から。それで答えにならないなら、無茶をしている子供を放って置けなかったから」
 柔らかな黄色い髪を撫でながら、青年は静かな口調で先ほどの台詞をもう一度繰り返す。
 この子になら、委ねても良い。
 この子になら、後悔しない。
 レイウットを片腕に抱えたまま、器用に片手で背に負った棍を外す。青年が片手に携えた棍を見て、レイウットは大きく瞬きした。
「俺の瞳と同じ色……?」
 彼の瞳は、温もりを持てば冬の澄んだ空に、温かさを無くせば永久凍土の氷片になった。
 そんな色、今まで自分の瞳以外に見た事なかった。彼の父親は真夏の青空で、母親は清水の碧だったから。
 とても珍しい色。世界中探したって、同じ色の石なんて見つかるかどうかと思っていたのに。
 物珍しげに手を伸ばす様子にくすくす笑いながら、その幼い手に棍を手渡してやる。何に気を惹かれるのか、レイウットは矯めつ眇めつ棍を見る。
「これは私の故郷で採れる石で天涙石と呼ばれています。天【そら】が地を想って流した涙だと。私の『対』です」
「『対』?」
 棍から視線を外しきょとんと見つめてくる少年ににっこり微笑み、『彼女』を呼ぶ。
「蒼姫【そうひ】」
 棍に影が重なり――――――身の丈よりも長い髪を背に流した妙齢の美女が現れた。
 驚きにレイウットの瞳が真ん丸く見開らかれる。
「レイウット、貴方に蒼姫の守護を。そして、貴方の大切な幼馴染にはこの棍を」
 青年の表情は何処までも穏やかだった。それは覚悟を決めた者の、揺らぐ事のない静けさだった。
 だから、彼がどれだけとんでもない事を言っているのか、知識の無いレイウットにも解った。
「こんな大事なモノ、貰えないよ」
 目が回るほど、何度も何度もふるふると左右に首を振る。首が痛くなっても止めない少年の頬を掌で包み、その薄青の双眸を紫の瞳が覗き込んだ。
「貴方の幼馴染は危地の中にも飛び込んで行くようなヒトなのでしょう?ならば、身を守るモノが有った方が良い。天涙石は硬く、折れません。それにこの棍は蒼姫の本体だから、その娘に危険が及べば直ぐに貴方に伝わります」
 だから―――――
 強い決意を湛えた紫の瞳。薄青の双眸が潤む。
「何で?何で、俺に?会ったばかりなのにっ……」
 震える声、小さな両手が神官衣の肩にしがみつく。
 どうしようもないほどの、愛しさ。
 だから、いい――――――
「言ったでしょう?『視た』からだと。貴方がたに蒼姫の守護を付けるのは必要な事なのです」
 ―――が生まれてくる為に。
「え?何?」
 最後の台詞が風に紛れた。問い返したが、青年は静かに微笑むだけで答えず、少年の身体を雪の上にそっと降ろした。
「蒼姫」
 唯一言、その名を呼ぶ。
 青年は『彼女』を見つめ、『彼女』は青年を見つめる。繊手を取り指先に口付け、細い身体を抱き寄せ耳元で小さく囁く。彼の願いに、『彼女』は微笑んで頷いた。
 『彼女』が己の髪を左手で束ね右手の二指で摘むと、彼女の豊かな髪が顎の線でふつりと切れた。それと同時に蒼姫【そうひ】の端が小指の太さほど欠ける。ちょうど、ピアスに加工できる大きさに。
「コレをいつも身に付けていなさい。貴方にも、蒼姫の声が聞こえるようになります」
 『彼女』の一部であった欠片を拾い上げ、レイウットの手に確りと握らせる。
「でも……」
 掌の中の欠片と蒼姫の髪を見比べて泣きそうな表情【かお】をする少年を抱きしめる。軽く背を叩くと、腕の中で小さくしゃくりあげる声が聞こえた。
「受け取って下さい、レイウット。貴方が受け取らないと、無駄になってしまいますよ?」
「……ありがとう……」
 額と額をこつんと触れ合わせて言えば、レイウットは涙の滲んだ目元を拳で拭いながら、泣き顔で笑った。少年の頭を撫で、青年も微笑む。
「貴方と、貴方の大切な女【ひと】に、神の加護が有らん事を」
 そう言って、青年は静かに祈りの言葉を紡ぎ出した。
 掌の中の石が熱を持つ。
 何か、強い力が身体に流れ込んでくる。人が当たり前に身の内に持っている澱や魔力が、真っ白な奔流に強制的に清められていく。
 意識が、その色だけに染まっていく。
「名、前……神官、様の…………」
 レイウットは薄れていく意識を必死で繋ぎ止め、青年を仰ぐ。真っ直ぐな幼い瞳に、青年は紫の瞳を揺らす。しかし、僅かな逡巡の後、微かに唇を動かした。
「氷白夜」
 風の音にも吹き消されそうなその声は、確かにそう聞こえた。
 それを最後に、少年は意識を手放した。


 倒れ込む幼い身体を抱きとめ、抱き上げる。
 彼を呼ぶ者達がいる。
 必死で探す声を、姿を『視た』。
 異国の神官は幼子を腕に抱えたたまま、声を『視た』方に歩き出した。


<2>

「レーイ!?何処にいるんだぁーー!!?」
「おーい、ガキ。聞こえてたら返事しろぉーー!!」


「……ぁ」
 『兄』の声が聞こえる――――――
 針葉樹の大きな枝の下、少年はゆっくりと目を開いた。
 自分を呼んでいる。返事をしなきゃ。
「…、……」
 ヒュ。
 寒気にやられたのか、喉からは掠れた息しか出ない。懸命に息を吸い、整え、必死で声を絞り出す。
「……ぁ………ら、ん……ら、にぃ…………ラン兄ぃぃぃ!!!」
「レイ!!」
 悲鳴に似た応【いら】えは、すぐ側から聞こえてきた。



 誰にも気づかれる事なく、気配が一つその場から離れて行った――――――





 『兄』の背で揺られながらレイウットはぼんやり考える。
 『彼』は寒さから見た幻覚なのだろうか――――――
 両手を見る。
 片手に握られた棍。もう片手には、手首に何重にも紐を巻きつけて確りと握らされた袋。
 そして、胸元に視線を落とす。
 丈夫な革紐で首から提げられ、上着の間で仄かな熱を放つ小さな袋―――その中身。
 身を切るように冷たい風も、レイウットまでは届かない。
 風がこの身を傷つける事はもうない。
 『彼女』が傍にいるから。護ってくれているから。
 『彼』を護る為に居るはずの『彼女』が、『彼』の頼みで今は自分を護ってくれているから――――――
「……ご、めん…な…さい……」
(あり…がとう……)
 眠る少年の眦から、涙が音も無く零れ落ちた。





「ありがとう、ガラ。助かったよ」
 暖かな部屋のベッドの中で昏々と眠り続ける『弟』の柔らかな髪を優しく梳きながらランディは傍らの青年を見上げた。
「礼なら言葉より態度で示して欲しいな」
 顎に指を絡め、顔を寄せようとしたガラの動きがぴたりと止まる。首筋に冷やりとした感触。
「……おい」
「それとこれとは話が別だよ」
 首の動脈に鋭利な切っ先を押し当てたまま、にっこり微笑むランディ。しかし、その目は全く笑っておらず、彼の本気が窺い知れた。ガラは大きな溜息を吐きながら、渋々両手を挙げてランディから離れた。
「全く、君は。コレさえなければ良い奴なのに……」
 仕込み刃を袖の中に戻しながら半眼で睨むランディに、ガラは悪びれず肩を竦める。
「そっちこそ、相変わらず釣れない態度だな。俺の繊細な心が傷つくぞ」
「繊細ぃ~?どこが?鋼鉄でも傷つかない金剛石の心臓しといて」
 次何かしたら本気で刺すよ?
 想い人の態度は、今日も一欠けらの容赦もない。ジトっとした眼差と両手で弄んでいる剥き身の短剣が、彼の本気を示している。
「知ってるか?金剛石だって場合によっては傷つくんだぞ?」
「なるほど。だから、冷たい態度くらいじゃ何とも無いのか。今度から君を撃退する時には火を使う事にするよ」
 本気で、容赦ない。
 口説き始めてそろそろ一年になるが、その氷の対応が溶ける気配は少しも無い。どうやったら溶かす事ができるのか……
「ま、そのうち口説き落としてみせるさ」
「一生言ってなよ」
 諦める兆しも無い懲りない男に、青年は呆れた溜息を吐いた。



「……ァンにぃ?」
 掠れた声にベッドに近寄れば、レイウットが薄っすらと瞼を開いている。
「気がついた?レイ?」
 彼が寝るベッドの枕もとに腰を下ろし、その顔を覗き込む。
「ラン兄!!薬は!?ナウラは!!?」
 寝起きでぼうっとしていた瞳が、瞬く間に焦点を結ぶ。此方に掴みかからんばかりの勢いで起き上がろうとして、けれど起き上がれず、小さな手を必死で伸ばして縋り付く少年を落ち着かせる為、ランディは小さな身体をぎゅっと抱きしめる。
「大丈夫。医者に薬を煎じて貰って、ナウラに飲ませたよ」
 優しく頭と背中を撫でながら告げると、緊張に強張っていた幼い身体から漸く力が抜けた。
「良かったぁ……」
 力の抜けた身体をランディに凭れさせ、レイウットは心の底から安堵の溜息を吐いた。

 レイウットの持って帰った薬草を見て医者は驚いていた。それはこの地方、況してこの季節には決して手に入らない物だから――――――
 皆が疑問に思ったが、レイウットに聞こうとは誰も思わなかった。
 幼い少年はたった独りで神に会いに行き、薬草を持って帰った。それで全てでいい。

「全く、たった独りでユグドラシルに会いに行くなんて!!あの辺りは熟練の狩人でも危険なんだから、遭難したらどうするんだ!!?大きくなるまで絶対、行っちゃ駄目だよ!!?」
「ん。ごめんなさい」
 真剣に怒る『兄』に肩を竦めて素直に謝る。自分が彼らにとても心配をかけた事は解っているから。
 殊勝な『弟』の様子に、その小さな頭をこつんと小突くのを最後にお説教を終わりにする。
 目が覚めたとはいえ、本調子でないのは明らかだ。今日、明日いっぱいは大事を取って休ませた方が良い。
「レイも無事目を覚ました事だし、そろそろ俺は帰るけど、今日と明日くらいはちゃんと休むんだよ」
 黄色い前髪を掻き上げ、額に小さく口付けを落とす。
 枕元から立ち上がり、椅子の背に掛けていた上着を取り上げた時、
「あの、ラン兄……」
 消えそうに小さな声とともに、ツンツンと服の裾を引っ張られた。
「ん?」
 振り向けば、真っ赤に染まった顔を半分だけシーツから出した少年が小さな小さな声で呟いた。
「その、ありがと……」
「どういたしまして。当然の事をしただけだよ」
 可愛らしい仕草に自然と顔が綻ぶ。シーツに潜り込んでしまった少年の頭を優しく撫で、ランディは静かに部屋を辞した。



「子供には優しいんだよな。その優しさの半分でも俺に回す気ないか?」
「ガラ、俺が笑ってるうちに黙れよ?」
 にっこり笑顔で凄む彼は最凶に違いない。
「……」
 己の身の安全のため、ガラは沈黙を選んだ。
 この溜息も合わせて、傍らの青年を口説き始めてから自分はどれだけの幸せを逃がしたのだろう、とふと考える。
 一生の半分くらい失っているかもしれない。
 それでも、彼と出会えなかった不幸を思えば、これくらい大した事はないのだろう。
「ランディ、夕飯ご馳走してくれよ。その程度の役得あってもいいだろ?」
「そうだね。じゃあ今日はいつもより気合を入れて作ろうかな」
「そりゃ楽しみだ」
 柔らかな笑みに、目を細める。
 この幸せを思えば。
 この幸せを一生のものにする為なら。
 後どれだけ幸せを逃がす事になろうと全部チャラだ。
 惜しくはない。
「ついでに泊まっていっていいか?」
「大人しく独りで寝るならね」
 そして、今日も釣れない想い人は綺麗に微笑む。





 その頃、休んでいろと言われたばかりの少年は根性で起き上がると、大切な少女の元に向かっていた。
 『兄』の言葉を信用しないわけではないが、やはり自分自身で確かめたい。

 ランディにばれないようこっそり家に入り、ナウラの部屋に滑り込む。
 少女は良く眠っていた。顔色も通常に戻っている。
 今度こそ本気で力が抜け、レイウットはナウラの枕元にしゃがみ込んだ。
「良かったぁ、ナウラ……」
 手を伸ばして、薄茶色の髪を梳く。
 失わなくて、良かった。
 少年は片手に持っていた棍を眠る少女の手に握らせた。
 蒼水晶に似た質感の一振りの棍。『彼』がナウラにくれた――――――
 レイウットは薄茶の前髪を掻き上げ、白い額にそっと口付けた。

 これからもきっと無茶ばかりする彼女に精霊の加護を。


<3>

 冬の空に向けていた視線を部屋の中に戻せば、ナウラは思い出したのか「あの時かぁ」と懐かしそうに呟いている。己が死にかけた事さえ懐かしく思い出せるのが、如何にも彼女らしいと言うか。喉元過ぎれば、というやつだろうか。
「ナウラは何処に行く予定なんだ?」
 訊ねると、こくんと小首を傾げる。
「ん~と、家は先祖代々お世話になってる鉱脈があってね。そこに採りに行くの」
「へぇ~、何処?」
 重ねて訊ね、その答えを聞いて――――――
 聞かなきゃ良かったと後悔すれば良いのか、聞いといて良かったと後ろ向きに安堵すれば良いのか、真剣に悩んだ。
「えっとねぇ………氷樹の森林を突っ切って、嘆きの谷を越えて、氷狼の棲息区域を横切って……」
「って、滅茶苦茶危険地帯じゃないか!!!?」
 熟練の狩人以外立ち入り禁止の場所だらけ。寧ろ、態と選りすぐってないか!!?
 しかし、常人とはある種の感覚がずれまくっているとしか思えないこの少女。叫ぶレイウットを不思議そうに見て、きょとんと瞳を開き小首を傾げる。
「うん?修行にはちょうど良いよね。腕試ししたかったんだ♪」
 時折、彼女の脳の中を覗いてみたくなるのは自分だけではないに違いない。
 レイウットは深い深い深ぁぁぁぁい溜息を吐き出した。
「…………ナウラ、独りでは絶ぇっっっっっっ対行くなよ!!!?俺も一緒に行くから!!!」
「え?レイはもう手に入れてるんでしょ?」
 益々不思議そうに小首を傾げる。
 誰でも良い。誰でも良いから!!誰かこの思い立ったら即実行、考えるより先に動いてる、自他ともに認める暴走突っ走り娘に常識を教えてやってくれ!!!
「いいから!!俺も連れてけっ!!!」
「う、うん、分かった。…………一緒に行こうね、レイ」
 レイウットの勢いに押され、こくこく頷くナウラ。
 そして、楽しそうに、嬉しそうに、微笑んだ。
「一緒に行こうな、ナウラ」
 レイウットも彼女の笑みに応え、微笑んだ。



(白夜神官。
貴方にはどれだけ感謝しても感謝し足りません。
願わくは、貴方も幸せであるように)



 遠い空の下から、祈りを込めて――――――



2.雪山騒動-white panic-

<0>

 騒動のきっかけは。

「ナウラは何処に『石』を探しに行く予定なんだ?」

 己の『石』を採りに行くと言う少女が教えてくれた鉱脈の在り処。

「え~と、確か………氷樹の森林を突っ切って、嘆きの谷を越えて、氷狼の棲息区域を横切って……」
「って、滅茶苦茶危険地帯じゃないか!!!?寧ろ、態と選りすぐってないか!!???」

 聞かなきゃ良かったと後悔するべきか、聞いといて良かったと後ろ向きに安堵するべきか。

「うん?修行にはちょうど良いよね。腕試ししたかったんだ♪」

 常人とはある種の感覚がずれまくっているとしか思えない少女に、最早、深い深い深ぁぁぁぁい溜息を吐くしかない。

「…………ナウラ、独りでは絶ぇっっっっっっ対行くなよ!!!?俺も一緒に行くから!!!」
「え?レイはもう手に入れてるんでしょ?」

 誰でも良い!
 誰でも良いから!!
 誰かこの思い立ったら即実行、考えるより先に動いてる、自他ともに認める暴走突っ走り娘に常識を教えてやってくれ!!!

「いいから!!俺も連れてけっ!!!」
「う、うん、分かった。…………一緒に行こうね、レイ」
「一緒に行こうな、ナウラ」

 そうして、雪山を舞台にした騒動の幕が切って落とされたのだった――――――


<1>

 遠くを仰ぎ見れば、白一色に埋められた鋭利な山々。
 一年を通して雪に覆われる高き峰々に新たに積もった今年の雪は、先人に制覇された山地は収まりが悪いとみえ、切欠さえあればすぐにでも山裾へ大移動してきそうだ。
 近くを見渡せば、視界に映るのは林立する氷の立像の群れ。
 常緑を謳われる針葉樹林も、絶える事無く吹き付ける氷交じりの風と、天【そら】から襲来する強度も様々な氷の欠片達にすっかり覆われ、さながら氷の像と化している。しかし、冷たき冬の女神の腕【かいな】に囚われてもなお生へと抗う力強き生命たちは、やがて冬が明ければまた陽の光の下で命を謳歌するのだろう。
 此処は、通称『氷樹の森林』。
 深き森が厚き氷に覆われし地の静寂を乱す事は何者にも許されていない。万が一禁を破りし者は、己が命で贖【あがな】う事になるだろう。
 それは考えるまでも無く当然の事。
 何故なら―――――





 その日は冒険にもってこいの抜けるような蒼天だった。
 上空から射す陽射しは暖かく、天【そら】から投げ下ろされた槍が幾本も突き刺さったかのような氷の大木の枝枝を滑り降り、地上を真白く染め上げる雪原の上を眩しく軽やかに踊り行く。
 森の中に命の躍動以って動くものは見当たらず、ただ深き眠りに沈む木々の姿が在るばかり。
 そうやって、もうずっと何年も何年も過ぎ行く時を積み重ねてきた。そんな静謐なまでの静寂が包み込む沈黙の地に不意に白以外の彩【いろ】を持つ存在が現れた。
 それは、一組の少年と少女。
「ん~、冷たくて澄んだ空気が気持ちいい~」
 小さな背負い袋一つ担いだ身軽な少女は、軽く拳を握った両手を空に向かって思い切り伸ばす。
 背を流れる薄茶の髪が、天上と地上からの光の欠片を受けて、穏やかな風の中金色に煌いた。
「寒くて凍てつく空気の間違いじゃねーのか?」
 対する少年は、明らかに少女の物よりも一回り大きな背負い袋を担ぎ、暢気な台詞に溜息を吐く。
 薄黄色の髪が風に乱され、顔にかかった短い髪を鬱陶しそうに掻き上げた。
 少年の台詞にむぅと頬を膨らませた少女は、零れ落ちそうな澄んだ緑の瞳を半眼にして少年をねめつけるとあからさまに仰々しく両腕を広げて見せた。
「なぁによ。レイにはこの静謐な空気が分からないの?まるで聖域みたいじゃない」
 両腕を広げたままくるりとターンし、傍に在った氷樹にぽふんと抱きつく。
「何やってんだか」
 芝居っ気たっぷりに力説する少女に、肩を竦めた少年は「風邪ひくぞ」と少女の腹部に腕を回して巨大な氷の固まりから引き離した。
 しかし、多少なりと少女に影響を受けたのか、暖かな身体を腕に抱いたまま何となく周囲を見回す。
 肌に突き刺さる冷気。
 立っているだけで温もりを奪われ、凍えていく身体。
 この静寂は、死と隣り合わせのもの。
 自らの意思持って動くものを全て排除した静謐。
 この地に満ちるのは、厳かさではなく、白き衣を纏った死の姿。
 墓地を覆う、沈黙にも似た――――――
「っ」
 少年は腕の中の温もりを我知らず、強く掻き抱いた。
(離したら失ってしまう)
 唐突に訪れた脅迫観念は呼吸を止めるほど激しかった。抱きしめる腕までが細かく震えている。
「レイウット?」
 腕の中の少女が、不思議そうに少年の頬に両手を伸ばし包み込んだ。途端、凍り付いていた『何か』が解けて消えていく。
 レイウットは知らず大きく息を吐いた。頭一つ半低い肩にこつんと額を押し付け、悴んだ指先に柔らかな長い髪を絡める。今は少しでも全身で少女を感じていたい。
「ちょっと、レイ?何なのよ!?」
 広い背中をぽんぽんと叩きつつ、少女は不安定になっているレイウットの顔を覗き込む。彼女が聖域を連想した静寂に彼は何を見たと言うのか。
「ん、ちょっと、さ。も、少し、このままでいいか、ナウラ?」
 ナウラは小さく嘆息すると、彼女を失うことだけを恐れる幼馴染を柔らかく抱きしめた。

 抱きしめる腕は、縋る腕。絡めとられる髪は、目に見える繋がり。
 抱きしめ返す腕は、受け止める腕。無言の囁きは、まだ声にはしない約束の言葉。

 互いの温もりだけに包まれて、しばし心地よさに微睡む。
 しかし、好い加減立ち止まっても居られない。
「レーイ。ほら、そろそろ先に進むわよ」
「ん~、も、少し」
 服の背中をくいくい引っ張って促すナウラを両腕で包み込んだままごろごろ懐くレイウット。
 レイウットの『甘え』には甘い自覚のあるナウラも、そろそろキレてくる。彼女は彼を張っ倒すべく棍を構えた。凶器を所持している時のナウラには十二分に注意を払わなければならない事を失念していたレイウットは、それでも哀しいかな毎朝否応なしに鍛えさせられている反射神経で以って辛くも凶悪な一撃を交わす。


 そして、賽は投げられた。


 レイウットが交わしたナウラの一撃は、近くに在った氷樹を圧し折っていた。

 ―――ズウゥゥゥゥゥゥウウウンンンンンン―――

 巨木が倒れる重々しい音が雪と共に降り積もっていた静寂を引き裂き、盛大な粉雪を巻き上げた。
「あ゛……」
「やばい……」
 レイウットとナウラの顔が物の見事に引き攣った。

 深き森が厚き氷に覆われし地の静寂を乱す事は何者にも許されていない。
 何故なら―――――

 遠くから響いてくる轟音。
 この距離でこの音。規模は考えたくも無い。
「え゛!?ま、まさか…………ウソでしょぉぉぉぉぉおおおお!!!!!」
 頂上が霞んで見える山の天辺から押し寄せてくる白い白い津波。
 それは紛う事なき、雪崩!!!
「何処の冒険活劇のお約束よっ!!この状況はぁぁぁぁぁああああああ!!!!!!!!」
「怒鳴るな、ナウラ!!!ますます状況が悪化するっ!!!!」
「そう言うレイだって怒鳴ってるじゃないっ!!!」
 不毛な会話を交わしながら、レイウットはナウラを抱えて全力疾走する。
 遠い背後から迫り来る白い壁。追いつかれたら最後、確実に死ぬ。
「死神の衣って、きっと絶対白だよな……」
「なに縁起でもないこと言ってんのよっ」
 確実に質量を増やしてくる白い恐怖にこれでもかと速度を上げる。
 走る!
 走る!!
 走る!!!
 走る!!!!
 走る!!!!!
「あ、レイ!『嘆きの谷』!!」
「……やるしかないか!ナウラ!!全力で穿てっ!!!」
「OK!レイ!!」
 深さも幅も半端ではない谷―――通称『嘆きの谷』。だからこそ、この手が使えるはず!!!
 レイウットの考えを即座に察したナウラが、いつでも棍を放てるように両手で構える。それを意識の端で確認しつつ、レイウットは迷わず崖から身を躍らせた。岩肌に沿って数メートル落下した時、斜め下方に向かって放たれた棍の一撃が崖に人間二人すっぽり収まるだけの穴を穿つ。その穴に間髪入れず飛び込んだレイウットは、ナウラを庇うように全身で抱えて奥の壁に張り付いた。

 ―――ドドドドドドドドドド……………ドォォォォォォォオオオオオオンンンンンンンンンンンン…………―――

 背後から物凄い轟音が響き渡り、周囲の山々に木霊し、岸壁を揺らした。
 第二陣、第三陣をやり過ごし、そのまま暫く待って何事も起こる様子がなくなってからレイウットはナウラを抱きかかえたまま穴の入り口から外を窺った。
「ギリギリ……」
「うわぁ……」
 引きつったレイウットの声に、ナウラも同じく引きつった声を漏らす。
 穴の外は一面の雪原だった。穴まであと1、2メートル弱の高さまで積もった雪に改めて背筋に冷たい汗が流れる。
「ははは、『嘆きの谷』が『救いの谷』に変わるとは……」
「あはははははははは…………」
 こういう状況を笑うしかないと言うのだろう、きっと。


<2>

 つい先程まで、目の前には谷底も伺えない深さの枯れた谷が横たわっていた。
 しかし今現在、目の前には白一色の雪原が見渡す限り続いている。

「うわ~、本っ当に見事に埋まったわねぇ~」
「本っ気で言いたいことはそれだけか?」
 レイウットの腕の中から身を乗り出したナウラは、辺りを見回し感嘆の声をあげた。逆にレイウットは、忽然と現れた穢れなき無垢な雪絨毯も、それに歓声をあげる無邪気な少女の様子にも、心和むどころか頭痛そうに額を片手で覆った。
 集落を出る前から、『嘆きの谷』をどうやって越えようか、少年はいろいろ、本当にいろいろ思案していた。
 それに伴い、使えそうな道具も幾つか用意していた。
 しかし、蓋を開けてみれば、何ともあっさり『歩いて』渡れそうである。
「本っ当、何だかなぁ・・・・・・・・・」
 昔から、ナウラの土壇場の悪運の強さは折り紙つきだった。絶体絶命の大逆転なんて、ナウラに限ってはいつもの事だった。
 そう、『いつもの事』なのだ。予想して然るべきだった。
 最早、悩むだけ無駄である。
「俺の時間を返せって言うかさ、なんてーかさ・・・・・・」
 溜息を吐くたび、「ああ、幸せが逃げていく」と嘆きつつも、やっぱり溜息しか出てこない。
「・・・・・・・・・まあ、いいか。どうせ谷を越えなきゃならないんだし。これで向こう岸に渡るのに苦労なくてすんだな」
 数分間、頭の中でぐるぐる回っていたいろいろな事柄の中から、取り敢えずレイウットは最も前向きな案を何処か納得が行かないままも採用することにした。そうでもしなければ何時まで経っても先に進めないし、そうとでも思わなければやってられない。
 大人しく腕の中に収まりつつもうずうずしている事が丸分かりなナウラの頭をくしゃりと撫でて、レイウットはナウラを片腕に抱えたまま眼下に広がる真白き平野に飛び降りた。



 『嘆きの谷』―――大河の如き幅と絶壁の如き深さを備えた枯谷。
 遥か昔には、一年を通して水量の変わらぬ谷の水は、様々な道程を経て数々の集落の生活を支えてきた。
 もう何百年前になるのだろう。
 『彼女』と表するに相応しき優しい名で呼ばれていた谷は、たくさんの命を支えてきた厳しくも慕わしき流れは、あの時より、もう二度と歌わなくなった。
 此処は、かつて魔国に在った魔王によって滅ぼされた水源。
 此処は、清らな腕【かいな】で多くの命を育んできた『彼女』の標なき墓所。
 此処は、失われた『彼女』の為に多くの生命【いのち】が哀悼を捧げた場所。
 だから、此処は、『嘆きの谷』。



 レイウットはナウラを抱えたまま、真新しき雪の原を飛ぶように駆けていた。
 積もったばかりの雪は柔らかく、そのまま立っているだけで体が沈み込んでいく。だから、体が沈む前に足下を蹴り、この脆弱な足場を駆け抜ける。
「何だか、寂しい風景ね」
 レイウットの首にしがみ付いていたナウラが、ぽつりと呟いた。
 視界を満たすのは、一面の白。
 右を見ても白。
 左を見ても白。
 前を見ても白。
 後ろを見ても白。
 白、白、白、白、白。
 何処も彼処も、ただただ真っ白に塗りつぶされている。
 生命【いのち】の声が聞こえない。生きるものの息吹が感じ取れない。
 かつて生命【いのち】に溢れていた、今は傷跡も痛々しい枯れた谷。その谷を埋める、生命【いのち】拒む、冷たすぎる水の別の形。
 とても、寂しい――――――
 今にも『彼女』の嘆きが聞こえてきそうな、変わり果てた姿。
 決して、見たくはなかったのに。
 決して、このような未来を望んではいなかったのに。
 今でも、『彼女』の優しい笑顔を思い浮かべられる気がするのに。
 ナウラがより強くレイウットにしがみ付く。レイウットがナウラを抱く腕に力を込める。
 決して逸【はぐ】れないように。
 決して何処か遠くへ行かないように。
 決してこの手を離さぬように。
 決して失わないように――――――
 広い広い白い平野を渡る間、二人はぎゅっとしがみ付き合っていた。


<3>

 ―――トン。

 突き当たった岸壁に沿って跳び上がると、不安定な平原を駆け抜けていた足が硬い大地を踏みしめた。
 思わず安堵の息が漏れる。両足で確り踏みしめ、レイウットはふと振り返った。
 本来なら、其処には底知れぬ深い枯谷が広がっているはずだった。しかし、今、視界に広がるのは真白き平原。彼が踏みしめた跡すらも、他者を寄せ付けぬ白さの中に埋もれている。
 ―――何だか、寂しい風景ね―――
 ナウラの言ったとおり、此処はとても寂しい。かつて生命【いのち】に溢れていただけなおさらに。
 『彼女』は嘆くだろうか。
 『彼女』は生命【いのち】をとても愛していたから。
 『彼女』は子供らをとても慈しんでいたから。
 思考を占めかけた感情をふるりと頭を振って排除する。此処からは、今までとは違った意味での危険地帯。命を脅かすのは自然の脅威だけではない。彼らに命刈る刃を向けるのは、真白き死神だけではないのだ。
 無意識に警戒を強めて、『此方側』を見晴るかす。
 居る。
 あちらにも、そちらにも。
 独特の生暖かい息吹を感じる。
 執念深き狼の気性と、生半可ではない体力と、氷雪に対する半端ではない耐久力を持つ獣。
 魔国に近きこの地にのみ生息するランシルニア最凶の獣、氷狼の気配。
 食料に乏しきこの時期にのこのこ訪れた彼らは、格好の獲物なのだろう。
「レイ、降ろして」
 ナウラがレイウットの肩を押し、大地に降ろすよう促す。
 大地を踏みしめ、彼女もまた棍を片手に周囲の気配を探る。
 探るまでない。すぐ其処まで迫っている。
「獣のわりに気配を絶つのが下手ね」
 ナウラはそう評して口の端で笑う。何処か物騒な、好戦的な微笑み。血の臭いを纏わり付かせた笑みは、彼女の戦気に凄みを加える。
(綺麗だな)
 どうしてだろう。ナウラならそれすらも、彼女を彩る飾となる。
 戦闘時の彼女の『姿』を知っている。美しき死神の姿を知っている。
 怖いと思う。恐ろしいとも。
 でも、そう思うだけ、美しいとも思う。
 そう、まるで研ぎ澄ました刃の美しさに見蕩れるように。
 多分、その刃を向けられるときですら、自分は彼女を美しいと思うのだろう。
 ナウラが棍で無造作に、背後に広がる雪でできた俄か平地を突いた。
 傍目にはさして力を込めているようには見えなかったし、そもそも届いてすら居なかった。それにも関わらず、不安定な平原の一角が音を立てて崩れいく。そして、その一角に連鎖して次々と彼方まであっという間に崩れ去っていった。
「さて、レイ。どうやら手荒な歓迎が待ってるみたいだけど、用意はいい?」
 ふわりと微笑むナウラに、レイウットも微笑み返す。
 彼女の隣に在る為の心構えなど、とっくの昔にできている。
 用意も、覚悟も、今さらだ。
「いつでもいいぜ?」
 どうやら、あちらの準備も整ったようだ。
 囲まれている。
 これは絶対絶命か?
 否。
「ナウラもオレも帰るんだよ。五体満足で、なっ!!!」
「当-然じゃないっ!!!自明の理ね!!!」
 逆手に短剣を構えたレイウットと背中合わせにナウラは棍を構える。
 互いの背中をトンっと触れ合わせると、弾かれた様に二人は同時に獣の群れに飛び込んでいった。

「死にたくなきゃ、とっとと逃げろっ!!!」
 左右から繰り出される鋭利な鋼の刃が、正確に獣の喉を掻っ切っていく。
 血飛沫を纏わり付かせながら、無慈悲な刃が無数の命を雪原に散らした。

「武装しなさい、蒼姫!!」
 棍の片端で風が渦を巻き巨大な刃を形作る。大鎌と化した棍で無造作に辺りを薙げば、幾つもの絶命の声と血飛沫が周囲を埋める。
 それは死神の鎌の如く、容赦無く命を屠っていった。

 しかし、数が余りに多過ぎた。怯む様子も無く次々に襲い掛かってくる氷狼たち。このままでは此方の体力が先に尽きる。
 周囲を見回し、ナウラは咄嗟に判断した。彼女の中で最も高い可能性に賭ける。
「レイ!!!跳ぶわよ!!!!」
「ナウラ!!?無茶だ!!!」
 彼女の案を察したレイウットは、少女の正気を疑ったがどうやら他の手を考えている暇は無かった。両手の短剣を血を払うのもそこそこに鞘に収め、駆け寄ってきたナウラを片手で抱え上げる。
「死なば諸共。ね、レイ!!!」
「不吉なこと言ってんなっ!!!!」
 背後から怒りのオーラを立ち昇らせて追いかけてくる氷狼の群れを一瞬視界に捕らえたレイウットは、ナウラを抱える腕にさらに力を込めると雪煙を蹴立てて走る。
 この先は、ちょっとした渓谷。氷狼をこの地に止める境界。其処まで辿り着けば――――――
 崖まであと5メートル……3メートル……1メートル……
「ナウラ、確り掴まってろよ!!!」
 崖のふちギリギリを思い切り蹴りつけて踏み切る。少女を抱えた少年の身体が宙に舞った。
 対岸まで残り9メートル……7メートル……5メートル……遠過ぎる!!!!!
「あと半分なのにぃぃぃぃ!!!」
「だから、無茶だって言っただろぉぉぉぉぉおおおおおお!!!!!!!!!!!!」
「そんな事言ったってぇぇぇええええ!!!!」
 絶望に引きずり込む、身体を包む浮遊感と耳元で唸る風。
 しかし腕に抱えた温もりに、意地でも死ねるかと死の予感を振り払う。
(そうだ、死んで堪るかっ!!!!!)
「ちく、しょ……蒼姫、追い風頼む!!!!」
 谷底から駆け上がってきた強風が背を押した。斜め上方に重力に抗い押し上げられる。
 無意識に風を蹴り、思いっきり片手を伸ばす。
 残り3メートル……2メートル……1メートル……

 ―――パラ、パラパラ……―――

 少年が踏み切った衝撃に欠けた崖の一部が深い深い谷底に落ちていき、轟音を立てて流れる急流にあっと言う間に飲み込まれていく。崖の手前で勢いを殺しきれなかった幾匹かが、哀しい鳴き声を上げながら落ちていった石と運命を同じくした。
「これで撒けた、かな」
 10メートル近く離れた対岸の様子を確認し、レイウットは大きく息を吐いた。片手でぶら下がった崖の縁も踏み切り箇所と同じように、パラパラと割れた欠片を零している。一歩間違えば獣の胃袋に収まっていたか、あの石と同じく激流に飲まれたか。
「ぞっとしないな」
 大切な少女を腕に抱えたまま、少年は速やかに崖を蹴って平地に這い上がるとその場から離れた。


<4>

 其処はとても美しかった。
 各所から差し込む光はそれぞれ一筋の線となり、薄暗いはずの洞窟内を柔らかく照らし出している。
 辺りは優しい緑に包まれていた。少年が大好きな、少女の優しい笑顔を彩る瞳の色と同じ、優しい優しい芽吹いたばかりの新緑の彩【いろ】。
 聖地の如く清浄な気配に無意識のうちに息を呑む。ただただ圧倒された。
「到着~♪」
 そんな少年の心情を知ってか知らずか、無邪気に勝利のサインなど決めているナウラにレイウットは思いっきり脱力した。
(この場で言いたい事はそれだけか!!?)
 いや、何時もの事なのだ。ナウラに常人の感覚を求めてはいけない、きっと。
 当のナウラが聞けば「レイの方こそ他人【ひと】と感覚ずれてるじゃない」と言って怒り出しそうだ。
 この二人の友人たちなら「どっちもどっちだろ」「五十歩百歩だよな」とでも言うだろう。
「此処が?」
 レイウットの端的な問いかけにナウラはこくりと肯くと、無造作に洞内を見回し目に止まった一点を軽く棍で突いた。
 ポロリ。
 小さな欠片が少女の手のひらに零れ落ちる。彼女の―――彼女の血族の瞳の彩と同じ色の石。
 欠片を瞳の高さまで持ち上げ光に透かしたナウラは、満足そうに微笑んだ。
「これで儀式は終了。私も漸く大人の仲間入りね」
 すっと伸ばされた細い指先が、レイウットの耳朶を彩る石に触れる。指先はそのまま彼の頬を辿り、そっと掌で包み込んだ。
 瞬きほどの一瞬。現か幻かも判別つかない瞬間。
 確信すら持たせてくれない、淡い、掠めるような――――――口付け。
「やっと、追いついた」
 あまりにも綺麗な微笑みに、意味を問う事などできなかった。



 だから、少年は途惑う。
 これは、どういう意味なのか。

 だから、少女は微笑む。
 さて、どういう意味でしょう?

 答えはもうすぐ、遠くはない未来のいつかの時に。
 それまでは、まだ、秘められたままで――――――



「んで、帰りも行きと同じ行程を辿れと?」
「ん?そうだよ」
「…………」
「…………」
 間を持たせるための切実な問いかけに、あっさりと無常な返答が返ってくる。
 暫し、両者の間を重く息苦しい沈黙が支配した。
 先に口を開いたのはナウラだった。少女はにっこり微笑むと、気軽にレイウットの肩をぽんっと叩いた。
「やぁねぇ。冗談よ。帰りは帰りで別の道があるのよ」
 手を曳かれ連れて行かれた先は洞窟の最奥。
 ぽっかりと口を開いた先に、鹿ですら忌避しそうな断崖絶壁が在った日には最早どうすればいいと?
 中腹からぽつりぽつりと生えている氷樹の存在が、崖っぷちではない事のなけなしの証明だろうか。
(だから、俺にどうしろってんだよっ)
 にこにこと笑う少女は、やはり常人とは感覚が違うのだろう、きっと。
 少年は、深い深い深ぁぁぁぁい溜息を吐いた。
 ああ、また幸せが逃げていく…………





「うわぁ~お。速い速い!!!」
「ナウラ!!はしゃいでないで確り掴まってろっ!!!」
 少女を片腕に抱えたまま、氷に覆われた樹木を飛び石代わりに疾走する少年。
 風の精霊の追い風を背に受け、通常では考えられない距離を跳び走る。渓谷や氷狼の群れは遥か反対側。今や眼下の氷樹の森林もみるみる背後に過ぎ去っていく。
 彼らは先ほど雪崩を生みだした峰にいた。あれだけの雪崩にも関わらず、確り根付いた氷樹がちらほらと残っている。生物の生への執着とは大したものだ。
 文字通り『お持ち帰り』されているナウラは、レイウットの首にしっかり抱きつき歓声を上げる。次から次へと現れては背後に流れ行く風景。まるで風になったようだ。
「なあ、何で行きはこの道通らなかったんだ?」
「ん?予想付かない?いくらレイでも、新雪積もった緩い足場でこの傾斜は無理でしょう?」
 呑気な少女の声に、少年は「そーですね」と力無い声で呟いたのだった。

 彼らが一族の許に帰り着いたのはそれから半日後の事だったと言う――――――



3.北の大地の祭り-north land festival-(fifteen)
<0>

 『冬迎祭』

 それは、目前に迫った厳しい冬に向け、祈りを捧げる祭り。

 過ぎ行く秋に感謝を捧げ。
 誰もが無事冬を越せるように。
 次の春を笑顔で迎えられるように。
 彼らの神に祈り、願う。

 そして、彼【か】の祭りは各々に用意された『出逢い』の舞台でもあった――――――


<1>

「レーイ!レイ、レイ、レイウット!!朝よ。朝、朝、あーさーなーのっ!!起っきなさーーーい!!!」
 物心つく前から、彼の寝覚めはこの声が運んでくる。
 彼の暮らす部族で、唯一の同い年の少女。何時だって一緒で、誰の傍よりも居心地の良い存在。
 親の代からの幼馴染。
「ああ、もう。とっとと起きろって言ってるでしょっ!!?」
 この寒い晩秋の朝に、容赦無く毛布を引き剥がしてくる。反射的に毛布の端をしっかり抱え込んでしまったのは、不可抗力と思ってもらいたい。
 彼女相手に甘い考えとは分かっているが。
「ねえ、私に喧嘩売ってる?」
(あ、ヤバイかも。そろそろ起きなきゃ……)
 やっぱり、彼女は甘くなかった。しかもこの声の調子だとそろそろ起きないと本気で拙い。
 実力行使なんて、彼女の傍に在るなら日常的に起こり得る現象である。
 だから。
「そう、売ってるのね」
「ちょっ、ナウラ!!?待った、今起きる。起きるから!!」
 慌てて起き上がったが、遅きに失したようだ。目の前の少女は目を釣り上げ、その拳は硬く握られ、肩は微かに震えていて――――――
 逃げる暇も無かった。
「遅いのよっ!!!」
 怒声と共に、見た目を裏切って余りある威力を持つ細腕が問答無用で首を刈ってきた。





「まぁったく、今日は年に一度の冬迎祭だって言うのに。偶には自力で起きたらどうよ?」
 食卓にパンやスープを用意しながら、ナウラは呆れた眼差しを送る。視線の先のレイウットが何処と無くボロボロになっているのは、気のせいではないだろう。
 何時もの事と言えば、何時もの事。大抵、彼の朝はこんなものだ。
「聞いてるの?レイ」
 ナウラの口調に強いものが混じる。椅子に座ったまま寝こけているんじゃないのか、と言わんばかりにジト目で顔を覗き込まれ、レイウットは慌てて顔を上げる。
 これ以上実力行使を振るわれたら、下手をすると今日一日苦痛に呻く事になりかねない。仕事もあるのだ。それは避けたい。
「もう。私がお嫁に行ったらどうする気?」
 しかし、今日の彼女が落としたのは何時もの破壊力抜群の手足ではなく、脳髄直下の爆弾発言だった。
「ナウラ!?結婚の申し込みでもされたのか!!?」
 飲んでいたスープを気管に詰まらせ、ゲホゲホ咳き込みながら必死の形相で聞いて来るレイウットの様子に、ナウラの方こそぎょっとしながら、ふるふると首を横に振る。
 心なしか青ざめた彼には普段の余裕が感じられなくて、心配になってしまう。
「そんな事はないけど」
 ナウラの科白と「大丈夫?」と背中を撫でてくれる掌の温かさに漸く安心して、ほっと胸を撫で下ろす。
 この掌を誰かに奪われるかと思った――――――
 身体中から一気に血の気が引いた。例え話で良かった。
「何だ、脅かすなよ。…………良かった……」
「そこまで安心されるのも何だかねぇ……」
 無意識に本音を吐露している事にも気づかず、心底安堵した溜息をつく少年に、少女は多少複雑なものを交えた溜息で返した。


<2>

 冬迎祭はランシルニア中の部族が集まって行う、大きな祭りだ。
 それこそ、年寄りから赤ん坊まで、様々な年代の者が一同に会する。
 祭りは太陽が頂点に昇る頃始まり、月が中天に輝く頃終わる。

 この日は、他部族の者と会う数少ない機会でもある為、楽しみにしている者が多い。
 ある者は部族の違う友人と友情を深める為。
 ある者は他所の部族に嫁いでいった娘や孫に会う為。
 そして、成人を迎えた者にとっては生涯の伴侶と巡り会う為の大切な場でもあった。

 しかし、これだけの人間が集まれば、当然諍いも其処彼処で起こる。
 馬の合わない人間も、素行の悪い人間も、何処にでもいるものだ。
 だから、毎年持ち回りで、部族ごとに警護担当を務める。
 今年の担当は緑風【りょくふう】の一族―――ナウラとレイウットの一族だった。





「きゃあ!?」
「ナウラ!!」
 人波に流されそうになっていたナウラの片手を素早く掴み引き寄る。そして、軽く屈み、もう一方の腕を彼女の膝裏辺りに回して抱き上げた。
「な!?ち、ちょっと。レイウット!?」
 突然抱き上げられて慌てたナウラは、手足をジタバタさせる。レイウットはそんな可愛らしい仕草ににまっと笑い、彼女の背に回した腕にさらに力を込める。
 軽くて、温かくて、柔らかい。まるで、春そのものを抱きしめている様だ。
「ん?この方が楽だろ?」
 自分の目線より高い位置にあるナウラの顔を見上げ、屈託無く笑うレイウット。彼の顔の両側を彼女の薄茶の髪が帳の如く流れている。
 真っ赤になったナウラは、照れ隠しにすぐ傍にある黄色い頭をポカリと小突いた。
「そういう問題じゃなくてっ。ていうか、何でお子様抱っこなのよ!?」
「お姫様抱っこの方が良かったか?」
 飄々と切り返してくるレイウットのこめかみを拳で挟み、これでもかとばかりにグリグリ抉る。
「お、ろ、せ!!!」
 レイウットは痛そうに顔を顰めたが、降ろす気は全く無いのかそのまま人波の間を器用に歩き出す。
 何だか、周りの視線を二人占めしているような……
 ……気のせいだろうか。
 …………気のせいだと思いたい。
「レイウット!降ろしなさいってば!!」
 周りの視線に居たたまれずに、往生際悪く肩をポカポカ叩くが効き目無し。
 だんだん膨れっ面になっていくナウラとは対象に、レイウットは実に楽しそうににまにま笑っていて手放す気なんてまるで無し。
「でも、降ろしたら埋もれちまうぞ?ナウラ、ちっちゃいから」
 無駄に縦に細長い人間から見れば誰でも小さく見えるのは仕方がないが、それを基準にしないで欲しい。
「誰がちっちゃいよ!!私は標準!レイが規格外なの!!」
「…………標準?」
 『ナウラ』が、標準?
 態とらしくも思いっきり不信そうな表情【かお】で失礼な事をのたまうレイウット。頬をぴくりと引き攣らせたナウラは、目の前に在る耳を遠慮容赦無く引っ張り、その耳元で大きな声で怒鳴った。
「誰も、何もかもが、何て言ってないでしょうが!身長よ、身長!!」
「ああ、身長ね。うん」
 片目を眇めながら、あからさまに大袈裟に頷いて納得してみせる仕草に尚更腹が立つ。
 絶対、態とだ。
「腹立つ同意の仕方ねぇ」
 徐々に目が据わっていく。心なしか声も地を這いつつあるような……
 ナウラは既に秒読み態勢に入っている。
「そりゃぁ、まあ。なあ?」
 にも関わらず、知ってか知らずか、しっかり止めの一押しをするレイウット。
「同意を求めるな!!!」
「いひゃい!いひゃいって、なうあ!!」
 キレた少女に両頬を力一杯引っ張られながらも細い身体を抱えたまま降ろさない少年は、ある意味尊敬に値するかもしれなかった。
 さて、この二人真面目に仕事する気があるのかどうか――――――





 陽の在るうちは酔っ払いが騒ぐ程度だったが、
 闇の帳が下りてくると徐々に無法の様相を呈していく。
 例えば、複数の男たちが、一人の女を囲んだり――――――



 女は何時の間にか人気の無い森裾に追い込まれていた。祭りの篝火【かがりび】が遠くなっている。
「おいおい、逃げなくても良いだろう?」
 女が背後にした樹ごと4、5人の男達が囲む。酔っているのだろう。性質の悪い笑いを浮かべ、酒臭い息を吐いている。
「なあ、姉ちゃん。イイじゃねーか。ちょっと一緒に飲むくらいよぉ」
「そうそう、姉ちゃんみたいな美人が居た方が酒も美味いってもんよ。なぁ?」
「朝まで付き合ってくれてもイイけどな!!」
 ドッと笑いが起こる。追い詰めた獲物を嘲笑う、下卑た嫌な声。本気で酒の相手だけで済ます気なんて微塵も無いのが良く分かる。
 女は嫌悪に顔を顰める。しかし、その表情【かお】に恐怖は無い。
 女は一瞬だけ悩んだ。自分が授かった『力』をこんな事に使って良いものかどうか。
 しかし、どうも話し合いで引き下がってはくれなさそうだ。此処はやはり、実力行使で諦めて貰うしかないだろう。
(死なない程度に手加減すれば良いわよね……)
 ばれなければ問題無し。…………多分。
 女が決断し、実行しようとした時、不意に凛とした声が響いた。
「一人の女を大勢で囲むなんて、常識欠落してるんじゃないの!?」
 澱んだ空気さえ清浄にする、清涼な風の気配。
 明かりを背負って影になった顔は判別つかないが、声からまだ年若い少女だと伺えた。
「何だおめぇは!オラ、お嬢ちゃんはすっこんでな!!」
「気安く触らないでよ、ねっ」
 不用意に近づいた男は逆に手首を掴まれ、次の瞬間投げ飛ばされた。
「だいたい」
 一歩踏み込んだ足を軸に、鋭く蹴り上げられた爪先が不運にも近くにいた男の顎を蹴り飛ばす。
「『全ての母』のお膝元で」
 軸足を支点にくるりと回転して次の男に狙いを定めると、頭上に上がっていた踵を今度はその脳天に向かって蹴り下ろす。
「女に不貞を働こうなんて方が間違ってるのよ!!!」
 背中から倒れた男に背を向ける形で半回転しながら、後ろから襲いかかろうとしていた卑怯者に回し蹴りが炸裂した。
「蒼姫【そうひ】を使うまでもないわね」
 少女は一連の動きに胸元に落ちてきた髪を背中に払いながら、片手に持った棍【こん】で鋭い風切り音をたてた。
 一瞬にして4人の男を地に伏せた少女に、残る一人の男は恐れをなし、後ろ向きにそろそろと後退して行く。
 しかし、数歩も行かないうちに、ポンっと肩を叩かれた。
「手ぶらで帰んないで、そいつ等も持って帰ってね?」
 男が驚いて振り返った先には、目の前の少女と変わらない年頃の少年が屈託の無い笑顔を浮かべて立っていた。
 狩りを生業としている自分が、全く気配を感じなかった。
 しかも少年は、一見無防備に立っていながら一欠片も隙が見当たらない。
 そして、その瞳。永久凍土よりもなお凍てついた、氷海の冷たさを湛えた双眸。
 男は、恐怖した。親子ほどにも年の違う少年を本気で恐ろしいと思った。
 だから、男は青ざめた表情【かお】でこくこく頷くと、投げ飛ばされて呻いていた男と共に気を失っている仲間を担いで急いで逃げて行った。
「ナ~ウラ。一人で遊んでないで、俺にも声かけてくれよ」
「レイウット!!」
 少女の驚いた声に、少年は少女の背後から肩に両腕を回しつつ茶目っ気たっぷりに片目を瞑って見せる。
 少女の頭を胸に抱え込んで顔を覗き込む少年の眼差しと、首を後ろに反らして見上げる少女の眼差しが交差する。
「だーれーが、遊んでるのよ。仕事よ。し、ご、と。警備のお仕事。酔っ払いが性質【たち】の悪い絡み方してたのよ」
 少女は半眼になると、肩に抱きついてきた腕をぺしっと叩いた。
「それにしたって、女性を数に物言わせて如何こうしようだなんてっ!!ったく。コレだから酒に飲まれる奴は始末に終えないのよ!酒は飲んでも飲まれるな、常識でしょう!?」
「全くだ」
 憤慨する少女に、こくこく頷き同意する少年。
 そう言う二人は、揃いも揃って底無しだったりした。
「大丈夫?何もされなかった?」
 軽やかな足取りで此方に近寄ってきた少女が、樹に背を預けたままの女の顔を覗き込んで来る。
 女はハッと我に返り、少女の問いかけに頷いた。
「ええ、何も問題は無いわ。それで、あの、貴女達は?」
 祭りと言えど、未成年者は日が沈む前に集落に帰るのが暗黙の了解だ。少女のような年若い娘なら尚更、日が沈んだ後まで屋外に居る事はあまり無い。
 ただでさえ、夜はいろいろと物騒なのだ。しかも祭りの夜ともなれば、血の気の多い者が本格的に騒ぎ出す。今の時間なら、夫か恋人と一緒に居る女しかもう残っていない。
「私はナウラ。こっちはレイウット。私達は、緑風【りょくふう】の一族の者で、今年の祭りの警備担当者よ」
「まあ、貴方達のような子供が?」
 女の途惑った様子に、ナウラは苦笑を浮かべた。
 自分達は今年成人を迎えたばかりだから、見た目で未成年と勘違いされても不思議ではない。しかし、
「あら。私もレイも、今年の春に成人の儀を終えているわ」
 ナウラは指先で耳朶を弾く。そこには成人の証である瞳と同色の石が星の明かりを受けて輝いていて。
「経験こそ及ばずとも、実力ならその辺りの男達に引けは取らない。先ほど確認したでしょう?私もレイも、一族内でも十指に入る実力を持ってるの。だから、この年齢【とし】で警備担当なんてものに選ばれたのよ」
 少女は不敵に微笑んだ。
 そこに在るのは己に対する自負と誇り。
 女は自分がとんでもない勘違いをしていた事を理解した。
「私ったら、貴方たちに失礼な事を言ってしまったわね。ごめんなさい」
 深々と頭を下げる女にナウラの方が慌ててしまう。
「そんな、わざわざ謝らなくても。大した事じゃないし」
 わたわたと意味無く手をパタパタさせる少女からは、先ほど男達を数瞬で片付けたとはとてもじゃないが想像できない。
 女は微笑みながら、もう一度、今度は助けてもらった礼を述べるため頭を下げた。
「そう言えばお礼もまだだったわね。ありがとう助かりました。私はユグドラシルの神官、セレナ。宜しくね」
「神官様!?……さっきの奴ら、神官様を襲うなんて益々最低ね。罰当たりもいいとこだわ。そのうち神罰が下るわよ、絶対」
 ある意味少女達こそが、神が彼らに下した神罰と言えるかもしれない。
「しっかし、こんな夜更けにうろつくなんて。俺たちが来なかったらどうする気だったんだか」
 3人で連れ立って篝火【かがりび】の側に戻りつつ、レイウットがぼやく。
 それにばつが悪そうな表情【かお】で、セレナは肩を竦めた。
「え、え~と、そのぉ~、ね?話し合いで解決しそうになかったし、いっそ『召雷』で吹き飛ばそうかなぁ、って。これぞ正しく『神罰』、なんて、ね?」
 えへ、と笑うセレナに、ナウラさえ思わず表情【かお】を引き攣らせる。
「間に合って良かった」
「本当に」
 応えるレイウットの声も強張っていたのは、きっと気の所為ではないだろう。
 そんな二人の様子にも気づかず、セレナはナウラの持つ棍を熱心に見つめている。
「ねぇ、その棍、見せてもらっても良い?」
「?ええ、どうぞ?」
 ナウラの許可を得て棍を手にしたセレナは、何に気を惹かれるのか矯めつ眇めつ蒼姫【そうひ】を見る。
「綺麗ねぇ、蒼水晶みたい。でも、水晶よりずっと硬いし、薄蒼に透き通ってる。澄んだ水、清涼な風、そんなモノを集めて縒り合わせたみたい」
(それに…………質感が似てる?まさかね。『対』と似てるなんて。この娘【こ】は神官じゃない。それは間違いない)
 でも――――――何でこんなに『似てる』の?
「お~い。嬢ちゃん、警備担当者だろ?ちょっと手伝ってくれ!!」
「あ、は~い。レイウットは神官様を送ってあげてね」
 ナウラは遠くからの呼び声に応えると、レイウットの返事も聞かずそちらに駆けて行く。
「あ、ちょっと、ナウラさん!?」
 セレナが慌てて呼び止めたが、既に少女の背中は見えなくなった後だった。
「置いてちゃった」
 大丈夫かしら?
 もう見えない背中に心配そうな眼差しを送るセレナ。
 彼女の手の中の棍を見つめ、一瞬、レイウットの心に不安が過ぎった。


<3>

 『石』が、騒ぐ。
 胸騒ぎが止まらない。


 ピアスがチリチリする。まるで何かを訴えかけている様に。利き手に持った蒼姫【そうひ】からも焦りが伝わってくる。
 嫌な予感ばかりが頭を、心を占め、此方の焦燥を煽る。
「ナウラに何かあったのか?」
 何時まで待っても戻らない。
 自分の許に帰って来ない。

 自分ノ傍ラニ、『彼女』ガイナイ――――――

「っ!!」
 どうしようもない焦燥に背を押され、当ても無く駆け出す。

 ナウラがいない。
 何処にもいない。
 何で!?
 ドウシテ!!?
 『彼女』ノ存在シナイ世界ナンテ、何ノ意味モ無イノニ!!!!

 焦りと不安に『何か』が決壊しかかっている。あと小石一つで、崩壊するほど。



 そして、賽は投げられる。
 しかも、最悪の目を表にしながら。



 下卑た馬鹿笑いが横手から響いてきた。集団の中には見覚えのある面構えの男達も居て。
「あの小娘、今頃泣いてんじゃないのかぁ?」
「獣に襲われて死んでるかもなぁ!?」
「イイ気味だぜ」
「ガキがでしゃばりやがるからだ」
「違いねぇ!!!」
 悪意に満ちた大声、嘲笑、愚弄。
 こんな下らない屑どもがナウラを!!!
「あいつらっ!!!」
 レイウットの冬の澄んだ空を映した薄蒼の瞳が―――――氷色に変質した。

 彼らには、何が起こったか解らなかった。
 周囲の空気が一瞬で凍りついた。場に降りる静寂さえも息を潜め沈黙する。そんな中響いたのは、厚みのある肉を殴る鈍い音。
 気づけば地面に叩きつけられていて、殴られた箇所からは痛みよりも熱さを感じた。
 酒気に侵され低下した思考力は、男達から判断力を奪う。だから、彼らは最期まで理解できない。自分たちがとんでもない相手の逆鱗に爪を立てた事に。

 レイウットは殴り倒した男の一人の胸座を掴み上げた。男の両足が空に浮く。
「ナウラは何処だ」
 地の底を這う声に、耳にした誰もが竦みあがった。
 少年が纏う切れんばかりの空気は、祭りの熱気に高揚していた場を一瞬で凍りつかせる。
 それは時間さえも止めてしまう、この年齢【とし】の少年が持っているなんて信じられないほどの殺気。
「聞こえないのか?ナウラは何処だと訊いている」
 声が、男を切り刻んだ―――――
 不可能にも関わらず、何故か誰もがそう感じた。それほど鋭利な声音。
 尋常でない殺意。
「あ、あの小娘なら、北の山だ。幼い女の子が迷い込んだと、探すのを手伝ってくれと、そう言って」
 息も絶え絶えに声を絞り出した男を乱暴に足元に突き飛ばすと、仰向けに倒れた男の喉に無造作に足を乗せた。呼吸を妨げられた男の顔が真っ赤になり、やがてどす黒い紫に変色していく。
 周りの男達が漸く呪縛から解け、仲間を助けようと慌てて動き出した。しかし、絶対零度の殺気に満ちた氷色の眼差しを向けられた瞬間、先ほどの比ではない恐怖に全身が凍りついた。
 薄蒼の双眸が研ぎ澄まされた刃の鋭さで男達を射抜く。視線で人が殺せるならば、人間だけに止まらず、草も木も、その目に映るもの皆一瞬で死に絶えていただろう。
「そのくらいにしてもらえるか?」
 不意に、力強い青年の声が響き、少年の呪縛を一掃した。
 男達が申し合わせたかの様に一斉に息を吐き出し、忙しなく呼吸を繰り返す。呼吸すら止まっていたのだ。
「あんたは?」
「ガラ。青嵐【せいらん】の一族で若長を務めている」
 氷刃の誰何【すいか】が新たに現れた人物に叩きつけられる。
 しかし、凍れる双眸に臆した様子もなく、精悍な面の青年はレイウットの視線を真正面から受け止めた。
 その間にも、彼と共にやって来た数人の青年達が、その場に居た男達を次々に拘束していく。男達は抵抗する暇もなく、あっと言う間に全員縛り上げられていった。
「神官様やその他の人間の証言は取れた。こいつらは一族で対処する。お前は早くその娘の下へ行ってやれ」
 スッ、と脇に退き道を開けた青年の横を通り過ぎ様、レイウットは振り向きもせずに告げる。
 それは、違う事の無い宣言。
「後はそっちの好きにすればいい。ただし、ナウラに何かあったら、そいつら一人残らず」
 底知れぬ冷気帯びた声に、ガラの介入で解けたはずの呪縛が再び男達を封じる。
「殺す」
 その声は、冷たさと熱さを同時に孕んでいて――――――
 それは、不履行など有り得ない死神の死刑宣告だった。

「お前ら、決して手を出してはいけない連中に要らんちょっかいをかけたみたいだな」
 呆れた視線に、恐怖に竦み上がった男達は気づかない。
「ま、あいつを煩わすまでも無い。こちらで『処理』するさ」
 ガラは獰猛な肉食獣の笑みを口端に浮かべた。





 月が中天に差し掛かる。


 目の前に立ちはだかるは、鬱蒼とした木々。
 ここは獰猛な獣が多数生息している事でも有名な場所。
 生い茂る木々に昼なお暗く、余程腕に覚えのある者しか踏み込まない危険地帯。
 乱立する大木に覆われた山―――通称、北山。


 こんな所に幼い子供が迷い込んだと聞けば、ナウラの事だ、相手の言葉の真偽を確認する暇もなく突っ走って行っただろう。それが事実であれば、母親や周囲が大騒ぎしてもっと大事になっているにも関わらず。
 少し考えれば分かる事だが、頭より先に手足が動く性質の少女である。今頃気づいてるかもしれないが、後の祭りだ。
 しかし、懲りるという事を知らない少女でもあるから、また同じような事があっても、やっぱり後先考えず突っ走って行くのだろう。
 だから、彼が彼女の背後を護る。
 彼女が思うまま走れるように、全ての露払いを引き受ける。
 自分で決めた。自分に誓った。

「ナウラ。無事でいてくれ」
 祈るような気持ちで、レイウットは闇の帳に閉ざされた北山を駆け上った。





「ったく。次から次へと、限【きり】が無いったら!!」
 行儀悪く舌打ちしながら、ナウラは闇の中を疾走する。
「こ~れは嵌められたわね~」
 そうよね、もし迷子が本当なら、オッサン達より寧ろ母親が騒いでるわよねぇ。
「ああ、私の馬鹿ぁ~!!何で、蒼姫【そうひ】忘れてきたのよぉ!!!」
 嘆く少女の背後から、如何にも凶暴そうな牙を剥き出しにした獣が追いすがって来る。あの牙相手では、ちょっと素手ではきつ過ぎる。
「どうしてこの辺りの木って大木しかないのよ。圧し折って振り回す事もできないじゃないっ!!」
 いくらなんでも、大人3人以上で漸く腕を回せる太さの木を素手で折るなんてできない。唯一の救いは、大木ばかり故に密集していない事と、日照不良により下生えの育成が芳しくない事だろう。
 しかし、そろそろ息があがってきた。一族十指の実力を持つナウラと言えども、体力は男性の平均ほどもないのだ。
 ぎりぎりの状況の中、心に浮かぶのは唯一人。
(レイ!レイ!!)


 ――――――レイウット!!!――――――


「ナウラ!動くな!!」
 誰よりも、何よりも馴染んだ声が、不意に耳に飛び込んで来る。心に望んだままに。
 ナウラはピタリとその場に止まる。後ろから追いかけてくる獣の足音がどんどん近づいて来る。
(大丈夫。信じてる)
 レイウットを――――――

 ―――ヒュッ。

 ナウラの頬ぎりぎりをレイウットの放った矢が飛んで行き―――――見事、獣の眉間を貫いた。

 ―――ドッ。
 ―――バキパキバキ。ドザァァァ。

 数歩後ろで何か重いものが倒れる音がし、軽い地響きがたった。
「ナウラ!!」
 弓を片手に持ったままレイウットが駆け寄って来て、ナウラの顔を覗き込んだ。
「怪我ないか!?」
 焦った表情【かお】。肩に置かれた掌が痛い。
 レイウットは決してナウラに手をあげない。ナウラが実力行使を行おうとも、レイウットは絶対にナウラを傷つける真似はしなかった。そのレイウットが手加減を忘れている。ナウラの細い肩を彼が加減なしで掴めば、痣が残っても可笑しくないのに。
(それだけ、心配してたんだ)
「うん、大丈夫。どこも怪我なんてしてないよ。ありがとう、レイウット」
「そっか、良かったぁ~」
 ほっと一安心したレイウットは、そのまま脱力してナウラの肩に懐いた。
「ホント、無事で良かった。心臓止まるかと思った……」
 肩に置かれていた手は何時の間にか背に回され、ナウラはレイウットの腕の中にすっぽり収められてしまった。

 きっと、今じゃなかったら慌てて逃げ出していた。
 でも、今はこの温もりの中にもう少しだけいたい。

 穏やかな静寂が二人を包む。
「あっ」
 何に気づいたのか、レイウットが声をあげた。
「何?」
 レイウットに抱きしめられるまま、その広い胸に頬を寄せていたナウラが顔を上げた。レイウットは眉を潜め、その頬を長い指先でそっと拭った。
「矢羽で傷ついたんだな。ごめんな、痛いだろ?」
 離れた指先を見ると僅かに血が付いている。滲んでいる程度だ。すぐに塞がるだろう。
「良いわよ、このくらい。気に」
 言葉が不自然に途切れる。代わりに小さく息を飲む音。
 レイウットの唇が、ナウラの頬に寄せられて。
 温かい舌が、滲む血を舐めた。
「!!!!!??????」
(なななななななななな、何何何何何っ!!!!????ししし舌が、舌がぁぁぁぁああああ!!!!)
 声にならない叫び声を上げ、ナウラはレイウットの腕の中で硬直した。頭の中は混乱の極地である。
「っし。消毒終わりっ。消毒は早めにしないとな。それに、舐めときゃ治るって言うし」
 レイウットが言葉と共にナウラの背中をぽんっと叩いた。
「……」
「ナウラ?ナウラさーん、どした?」
 動かないナウラを不審に思ったのか、レイウットが呑気な表情【かお】でナウラを覗き込んだ。
 固まりかけていた脳がレイウットの声を取り入れ言語に変換し、脳裏に表示された文字を読んで漸く意味を理解する。理解して――――――ナウラは、目の前の呑気な面を思いっきり両手で挟んだ。

 ―――バシーーーン。

 実に子気味良い音が辺りに木霊した。
「いってー。行き成りなんだよ、ナウラ!?」
「……消毒?」
 地の底から響くような低音に、膨れっ面でナウラを見たレイウットの表情【かお】が見事なまでに引き攣った。
 やばい。
 やば過ぎる。
 やっぱり調子に乗りすぎたか!!?
「えーと、ナウラさん?」
「ねえ、レイウット?」
 ビ、ビクゥ。
 ナウラの唇から発せられた声に面白いほど反応するレイウット。どんな言葉が続くのだろう、と戦々恐々する彼にナウラはにっこり微笑んだ。
 恐い。
 はっきり言って恐い。
 いっその事きっぱりはっきり怒り狂ってくれた方がどんなに良いか。
「この貸しは高いわよ。乙女の柔肌傷つけたんだから」
「さっき気にしなくても良いって」
「うるっさいっ!!」
 恐る恐る言い返したレイウットの科白を一蹴すると、ナウラはレイウットの脇をすり抜け、後ろも見ずに山を降りて行った。
 だから、彼女は知らない。
 まだ、気づかない。
 その時が来るまで。


「こっちの気持ちも少しは察してくれよな……」
 冗談にでもしなきゃ、洒落で済まなくなる。一度踏み切ってしまえば、きっともう止まれない。待ってやれない。
 一人の残されたレイウットはぐしゃりと前髪を掻き上げた。そして、苦笑い。
「ま、それがアイツなんだけど、さ」
 道はまだまだ長そうだ。
 大事な姫君は、後どれだけ待てば彼のところまで来てくれるのだろう。
 此方が彼女のところまで降りる気はないから、彼女には早く此処まで来て欲しい。
「俺の理性だって、そういつまでも持たねーんだぞ」

 今はまだ、少年の本音は冬を迎える風だけが知っている―――――



 さて、本当に鈍いのはどちらなのか?
 


4.少年Rの悲劇 -tragedy of boy R-(sixteen)
<0>

 北の大地に一人の少年がいた。

 金髪碧眼、短身痩躯。
 血の濃さ故に美人の多いこの地であっても、人の目奪う美貌の持ち主。
 性格は、真面目かつ誠実。
 誰にでも分け隔てなく優しく、親切で、困っている相手を放って置けないお人好し。
 それでいて、先祖代々受け継がれてきた銀槍を巧みに操り敵を屠る姿は、天より舞い降りた戦神の様だった。

 十二分に異性に好かれる条件を持ちながら、しかし、その少年は振られてばかりいた。
 何故なら、彼の美貌は中性的、否、寧ろ女性的だったから。
 そう、その少年は、そこらの女では逆立ちしたって叶わないとびきりの美少女だったのだ。
 哀れ、少年は妬まれるか、男扱いされないかの憂き目に会ってばかりいた。

 合掌。


<1>

「ごめんなさい。私、ローズの事、男として見れないわ」
 そう言って少女は振り返りもせず、その場から去って行った。



 少女の去って行った方向を見つめたまま呆然と突っ立っていると、直ぐ側の茂みがガサリと音を立てた。
 良く知っている気配。振り向かなくとも誰なのか分かる。
「また振られたのか、しかもまた男扱いさえされずに」
「うるさぁぁぁあああああい!!!!」
 茂みを掻き分けて現れた青年の開口一番の台詞に、少年―――ローズは振り向き様、背負っていた槍を思いっきり投げつけた。
 茂みから現れた青年は、少年が手加減無しで投げつけた槍を僅かに身体を反らせるだけで交わす。一本目の樹の幹を貫通して二本目の樹の幹に深々と刺さった槍を呆れた眼差しで見つつ、むかつく事に気の抜けた拍手なんぞした。
「成人後の失恋、50人突破おめでとう」
「てめぇ……殺ス!!!」
 本気の殺意を浴びせるローズに青年はひょいっと肩を竦め、樹の幹に刺さったまま今だ震えている槍を引き抜き、ぽいっと少年に放って寄越した。
 ローズはパシっと小気味良い音をたてて利き手で槍を受け取る。槍を手に一瞬本気で悩んだが、結局元の様に背負いなおした。
 この男の為に自分が殺人者になるなど馬鹿らしいだけだ。
「しっかし、まだ恋愛解禁になって3ヶ月だって言うのにもう50人突破とは……。2日に1人のペースで振られてるな。そうそう作れる記録じゃないぞ?」
 お前って、結構立ち直り早いよな。

 ―――ピキっ。

 こめかみに血管が浮き上がる。一度は引っ込める事に成功した殺意がまた沸いてくる。
 何だってこの男は、いつもいつもヒトの神経を逆なでする事ばかりに口にするのか。
 大体、ローズが振られる理由の同点一位は、「ローズの事を男として見れない」、「カイリが好きなの」。
 そう、この目の前で、喧嘩売ってるとしか思えない言い草で本気で感心している幼馴染―――カイリが四六時中傍にいる所為で、いつもいつも否応無しに男として比較される羽目になるのだ。
「カイリなんか大っ嫌いだぁぁぁぁぁあああああああ!!!!!!!」
 涙目で叫びながら走り去っていくローズ。
 ローズの叫び声は、遠くの山々に木霊しいつまでも響いていた。


<2>

 あれから数日。

 ローズは相変わらず連続失恋記録を更新しつつ、冬迎祭を迎えた。
 今年の警備担当者はローズの部族―――赤光【しゃっこう】の一族だった。





 さっきから引っ切り無しにかかってくる幾人もの女性の声。
 しかし、哀しいかな。対象は自分ではなく隣を歩く精悍な青年。
 何が楽しいのか相変わらず自分の傍を定位置にしている迷惑な幼馴染は、片手に料理を持ちつつ、声をかけてくる女達に愛想良く手を振り返したりなどしている。
 幼馴染の贔屓目を抜きにしても、同性の自分の目から見ても格好良い男。
 それに比べて、何処をどう取ってもまず男には見えない女顔の自分。
 例えいつも一緒に居る事で絶えず比較されていなくとも、女達は自分など相手にしないだろう。こんな女にしか見えない男など選ばずとも、この地には良い男は幾らでもいるのだ。
 知らず溜息が零れる。
 どうして母親はもっと男らしい顔に自分を産んでくれなかったのか。お門違いと分かっていても文句を言いたくなってくる。

 自分の苦悩にどっぷりと浸っている少年は、だから、傍らの青年が人にぶつからない様にさり気無く誘導してくれている事には気付かなかった。
 気遣う様に見ている事にも――――――



「あれ、レイとナウラじゃないか」
 カイリが口にした友人の名前に、思考の淵から漸く浮上したローズは彼が向いている方向に振り向いた。
 レイウットとナウラ。緑風の一族でも屈指の戦士である友人達は、相変わらずいつも一緒に居るらしい。自分とカイリの様なものだろうが、ナウラは気は強いが美人の女の子なのでレイウットが心底羨ましい。自分の幼馴染もナウラの様なら良かったのに。

 レイウットの弓の腕は百発百中、彼が的を外すところなど見た事も無い。どんなに小さく遠い的でも彼は難なく射抜いて見せた。弓を引く様も、放つ様も、水の流れの如く淀みなく、見ていて本当に綺麗だと思う。しかも、弓だけでなく剣も扱える。遠距離、近距離、どちらも対応可能な優れた戦士だ。
 ナウラが棍を手足の如く操る様は実に見事だ。岩をも砕く怪力から繰り出される棍は、樹齢何百年の大樹すら一撃で圧し折る。この地に住まう獣にすら引けを取らない素早い動きは、対象を確実に追い詰め一撃で仕留めた。彼女の強さは見ていていっそ爽快だ。熟練の戦士ですら、彼女の前ではそこらの戦士と大差ない。
 去年は、成人したばかりの15歳で警備担当者に選ばれていた。それほどの実力を持つ友人達。

 ナウラは寒くなったのか、レイウットに後ろから抱きかかえられながら彼の大きなコートに一緒に包【くる】まっている。
 美味しそうに料理を食べているナウラの耳元に顔を寄せてレイウットが何事か囁いた。ナウラはフォークに刺した熱々の肉料理を吹いて冷ますと、体ごと半分振り返りレイウットの口元に差し出す。レイウットはにっこり微笑み、多分礼の言葉だろう何事か口にして差し出された料理をぱくりと食べた。
「あの二人って、無意識だと万年新婚夫婦だよなぁ」
「意識すると恋人未満の幼馴染なのにな」
 カイリの呆れを含んだ台詞に、ローズも心から相槌を打つ。
 レイウットとナウラ、どちらに問題があるのかは分からないが、意識すると途端に初々しくなるのだ。時々、「じゃあ、日頃のいちゃつきぶりは何なんだ」とツッコミを入れたくなるが、きょとんとした表情であっさり流されそうな予感がするので止めている。無意識の惚気は、意識した惚気よりも威力が大きいのだ。
「羨ましい……」
「物欲しそうな顔するなよ」
 ローズの口から思わず零れた本音に、カイリはこれ見よがし気に呆れた溜息を吐いた。


<3>

 夜も更けた頃、ローズとカイリは人気の無い山の端で酔っ払いに絡まれている女を見つけた。
 祭りの夜には必ずと言って良いほど、こういう馬鹿が何処からとも無く沸いて出る。ローズもよく絡まれたものだ。女に間違えていた奴もいれば、男と判っていて襲ってきた奴もいた。次々に沸いてくる獣【けだもの】をカイリと二人で半殺しにしていったものだ。あれで随分腕が上がった。
 ああいう塵には一切容赦しない事にしているローズは、迷わず女を助けるべく全速で駆け寄った。

 あと数歩で辿り付く距離まで来た時、不意に空気が帯電した。
 前触れもなく、女から雷が迸る。
 それは神の鉄槌の如く、あたり一帯を薙ぎ払った。

 雷は少し離れた位置に居た何の関係もないローズの方にまで、何の弾みか流れて来た。
 全速で走っていた身体は直ぐには止まれないし、踵を返せない。しかも、持ち歩いている愛用の槍が避雷針になってしまったのか、神官なのだろう女が放った召雷は正確にローズ目掛けて落ちてくる。
「げっ!!?」
 体勢が悪く、交わせない。

 ―――ドンッッッ!!!!!!

「っっっ!!!!!」
「ローズ!!!」
 腹の底から響く音とともに、雷がローズの身体を貫いた。
 衝撃に息が詰まる。
 目の奥が真っ白になって、意識が吹っ飛ぶ。
(俺、死んで…………)
「…………ない?」
 気を失ったのは一瞬の事だったのか、身体が完全に倒れ込む前に意識を取り戻したローズは、慌てて片手を付き受身を取った。
 あれだけの雷をくらいながら、何故か無傷の自分。瀕死の重傷を負っていても可笑しくはないのに。
 これが意味する事は一つ――――――
「……嘘だろぉ………」
 これは運命の悪戯か、神の嫌がらせか。
「なんっで、俺が神官になるんだよぉぉぉぉおおお!!!!????」
 少年の叫びが、夜の大気を振るわせた。





「何があったの!?」
 先ほどの雷は離れたところからでも良く見えたのだろう。ナウラがレイウットと共に棍を片手に駆けて来る。
 二人は現場らしきところまで走ってくると、思わず目をぱちくりさせた。

 地面にぺたりと座り込み、唖然と宙を見上げているローズ。
 腹を抱えて爆笑しているカイリ。
 ローズの前で謝り倒しているセレナ。
 そして、ローズの視線の先にはあからさまに人間ではない美女が一人。

 見知った人間が三人。内一人は去年も似たような事をやらかしかけた人物。
「私、何か、聞かなくても状況分かっちゃった気がする……」
「十中八九、間違ってないと思うぞ」
 何となく視線を彷徨わせながら呟くナウラに、レイも何とも言えない複雑な表情で相槌を打った。



「否さ、確かに精霊憑いてても可笑しくないくらい使い込まれた槍だけどさぁ。幾らなんでも安直過ぎねぇ!?コレが『対』だなんて。有難味が無い!!」
 漸く気を取り直したローズの第一声は、現実逃避気味のそんな台詞だった。
 逃避でもしなければやってられないのだろう。
「いいんじゃね?探す手間が省けて。楽できたじゃん」
「否、そーいう問題か!?違うだろ!!?もっとこう、神聖つーか、厳かっつーか、あるだろ!?何かそーいうのが!!!?」
 まだ笑いの余韻に声を震わせながらカイリが空かさず入れたツッコミに、ローズは少々大袈裟な動作で抗議する。
 まだ混乱しているのだろう。いつもよりも言動が大袈裟だ。
「それ相応のなり方したんならともかく、偶然以外の何物でもないお前が主張してもなぁ……」
「だって、俺、神官様とか精霊とか、結構夢持ってたのにぃぃぃぃ!!!!!」
 このランシルニアで神官に憧れを持っているとは、本当に純真な少年である。
 しかし、今回の騒動でローズの憧れは木っ端微塵に砕け散ったものと思われる。つくづく不運な少年である。
「………黙って聞いてればさっきから言いたい放題!あんたねえぇ、私に何か文句があるとでも言うの!?こんな美人捕まえて!!?あんたが相手にもして貰えず振られ続けてきた小娘達なんか足元にも及ばない美女なのよ!!感謝されど嘆かれる覚えなんてないわ!!!」
 混乱したまま本音を口走り続ける少年に、威勢の良い啖呵を切ったのは見知らぬ人外の美女。
 先ほどの台詞から察するに、ローズの血族が先祖代々愛用していた槍に宿る精霊でローズの対らしいが、言ってはならない禁句を口にした様な……
「そんなに振られ人生歩んできたのか……哀れだな」
 こういう事は決して外さないカイリが、如何にも作りましたと言わんばかりの沈痛な表情で明後日の方を向く。
「ホントに」
 セレナがハンカチで目尻を拭いつつ、震えている声を出す。どう良心的に見ても笑い涙だ。
「ま、元気出せ?」
「恋愛だけが人生じゃないわよ」
 レイウットとナウラだけが、本気でローズを慰める。
 しかし、
「うるっさい!!!!余計なお世話だぁぁぁぁぁぁああああ!!!!!!!!」
 同情とは、時に何より心を抉るものである。
「みんな、みんな、大っ嫌いだぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああ!!!!!!!」
 彼の行く手に立ち塞がる全てを薙ぎ倒しつつ、泣きながら走り去って行くローズ。
 その方向は――――――
「あ、ちょっとローズ。そっちは北山よぉーーーー!!」
 ナウラの呼び声が聞こえたのか否か、止まる事無く爆走していくローズ。
 その背中は夜陰に紛れ、あっと言う間に見えなくなった。
「行っちまったな」
 レイウットが肩を竦めてカイリを見た。ナウラも再び爆笑しているカイリに呆れた眼差しを向けた。
「良いの?」
「良いんじゃねぇ?いいだけ暴れたら気も済むだろ」
 カイリは心配した風もなく、あっけらかんとしている。
 そんな友人の姿に、ナウラはこれ見よがしに溜息を吐く。
「馬鹿ねぇ。さっさと手を出しとけば良かったんじゃない?」
 ナウラの台詞に、一転して何とも言いがたい表情になるカイリ。
「……悪い。何て言って良いか分からない…………」
 同情に満ちたレイウットの台詞は、悪気が無いだけに問答無用の威力を持つ一撃だ。
 はっきり言って心を抉る。
「別に、他人のモノになんないんだったらいいさ。これはこれで面白いし」
 カイリは苦笑しつつ、少年が駆け去って行った方向を見た。
 そう、彼の一番の願いはローズの一番近くに居る事なのだから――――――



 相棒にはからかわれ、対にはいぢめられ。
 ローズ少年の明日はどっちだ!!?



5.星婚歌-song sung for you-(eighteen)

<0>

 歌声が聴こえる。
 今宵、満天の星空の下、星々の祝福を受け新たに夫婦となった二人が歌う。

 『星婚歌』

 それは、常に満ち欠けを繰り返す月よりも、見上げればいつも其処に在る星の永遠を願って歌う歌。
 婚礼の夜に、夫婦となった二人が星明りの下で歌う歌―――――


<1>

 目の前の赤は何だろう。

 どくどく。
 どくどく。

 沸き出る泉の様に、愛しい女【ひと】の体から流れ出す赤い水。
 赤い、赤い、命の、水。

 止まらない。
 どんなに塞いでも。手で押さえても。包帯で縛っても。癒しの力を使っても。
 止まらない。
 止まってくれない。 

 流れ出す。
 赤い水が。命の水が。紅い血が。
 流れ出す。
 流れ続ける。
 このままでは、全て流れ出てしまう。
 彼女の生命【いのち】が――――――
 
 止まらない。
 止マラナイ。
 何で。
 如何して。
 失ってしまう。
 居なくなってしまう。
 『   』が死んでしまう――――――



 これは夢だ。

 いつもの様に、朝起きれば彼女が目の前に居て。
 いつもの様に、朝食を用意してくれて。
 いつもの様に、二人他愛の無いやりとりをして。

 これは夢だ。
 コレハ夢ダ。



 コレハ、夢ナンダ。





 レイウットの様子がおかしい。
 朝から、自棄にナウラの傍に居たがる。いつも一緒にいるとは言え、普段とは明らかに様子が違い、まるで母親と離れる事に怯える幼子の様に、片時もナウラの傍から離れない。
 今も繕い物をしているナウラに、背後からぎゅっと抱きついている。レイウットの両腕が邪魔をして上手く繕い物ができないし、いつも無意識に力加減をしている彼が、手加減を忘れて痣ができそうな力でしがみついてくる。
「ああ、もう!さっきから何よ?繕い物ができないでしょう!?」
 ナウラが怒っても、レイウットは益々力を入れて強くしがみついてくるだけ。
 全く、この男は。今度はいったいどうしたと言うのか。
「レイ?何よ、どうしたの?今日は妙に甘えてくるわね」
 レイウットの態度を不信に感じていたナウラは、上体を捻って背後を振り返る。レイウットは、ナウラを腕の中に閉じ込め肩に顔を埋めたまま、彼女の呼びかけにも顔を上げようとはしない。
 ナウラは腕の中で身体を反転させると、俯いたレイウットの顔を両手で包んで仰向かせる。覗き込んだレイウットは、不安そうな表情をしていた。
「なぁに?恐い夢でも見たの?」
 親と逸れた幼子の様な表情に、知らずナウラの声が優しくなる。
 頬を包んだ両手を引き寄せ、額と額をこつんと触れ合わせる。自分より高い位置にある表情【かお】は酷く頼りなく、今にも泣きだしそうに見えた。
 レイウットはナウラの問いに、幼い子供の様にこくんと頷いた。
「ナウラが、居なくなる夢を見た……」
 泣きそうな瞳で、縋るようにナウラを見つめるレイウット。心なしか、声も震えている。
「私がレイを置いて旅にでも出るの?」
 額を触れ合わせたまま、小さな子供を相手にする様に優しく問えば、ふるふると首を振る。
 目尻に溜まっていた涙が空【くう】に散った。
「違う、冷たくなって、どんなに抱きしめても温かくならなくて……俺が追いかけられない場所に逝ってしまうんだ」
 血を吐く様に、苦しげに言葉を吐き出したレイウットは、再び俯きナウラの肩に顔を埋めてしまう。
 肩が暖かな滴で濡れていく。手加減無しにぎゅうっと抱きしめる腕に、息が苦しくなった。
 でも、心の方がもっと苦しかった。
 レイウットは、夢の中でさえナウラを失う事に耐えられないのだ。
 本当に、どうしようもない男。
 だから、独りになんてできない。
 独りになんてしない――――――
「馬鹿ね、勝手に人を死なさないでよ」
 レイウットの両腕を解【ほど】かせ、その両手を取る。
「ほら、温かいでしょう?」
 左手を頬に触れさせる。
「心臓も、動いてるでしょう?」
 右手を左胸に押し当てる。
「私は此処に居る。ちゃんと生きてて、レイウットの傍に居る」
 ナウラはレイウットと視線を合わせ、包み込む様に微笑んだ。
 幼い澄んだ蒼天の瞳から、涙が零れ落ちる。
 ナウラを想うが故に流される宝石より尊いそれに、唇を寄せ舐め取った。
「これで安心できないなら、もっと傍まで来てみる?」
 悪戯っぽく笑い、レイウットの顔を覗き込む。
 そっと唇を重ねて、
「どうする?レイ」
 僅かに唇を離し、囁いた。
「えっ、あのっ、そのっ」
 真っ赤になってあたふた途惑うレイウットに、ナウラの笑みが深くなる。
 何処か優しさを宿した悪戯な微笑から、艶やかな咲き誇る華の笑みに。
「どうする?レイはどうしたい?」
 右手をレイウットの頬に伸ばし、白い指先でそっとなぞる。
 レイウットがぴくりと身じろいだ。
「……いいの、か?」
 欲情に掠れた、男の声。
 そう、何時の間にか、いつもとなりに居た少年は『男』になっていた。
 そして――――――
「駄目なら最初から言わないわよ」
 直ぐ傍に寄せたままの唇を、もう一度重ねる。
 右手から開放された左手が、ナウラに触れた。
「止めとく?」
 上目遣いで覗き込んだ瞳は、とても深くて、澄んでいて。まるで、冬の高い天【そら】みたいに、心ごと吸い込まれそうで――――――
 そして、いつの間にか、自分も『女』になっていたのだと、その瞳に見つめ返されて実感した。
「嫌だ」
 レイウットの左手がナウラを抱き寄せる。
 重ねるだけの口付けとは比べ物にならない深い口付けに、心地よく酔わされる。
「ナウラが、欲しい」
 強い、強い、『男』の視線。
 泣いていた幼子は、もういない。
「ナウラの一番近くに行きたい」
 レイウットは逃がさないとばかりに、ナウラを強く抱きしめた。



 雪白の肌に残る幾つもの傷跡。
 古いもの、新しいもの。
 小さなもの、大きなもの。
 覚えのあるもの、心当たりの無いもの。
 その一つ一つに優しく口付けた。

 ほっそりとした首筋を舌で辿って、優美に浮かび上がる鎖骨をなぞって、温かな雪原に紅い、紅い、華を幾つも咲かせた。
 頂きに唇を寄せ、上気した薄桃色の肌を指で辿り、彼女さえ知らない場所に分け入っていく。
 紅い唇から甘い吐息が零れ、潤んだ緑の瞳が彼だけを映す。

 声も、吐息も。
 縋りつく指も、抱きしめ返してくれる腕も。
 何もかもが――――――

 愛しくて。
 愛し過ぎて。

 染めたその身に、この身が溺れる。



「ナウラ、結婚しよう?」
 レイウットが、耳元で囁く。
 抱き寄せる腕の中からレイウットを見上げれば、彼もまたナウラを見ていた。
「俺、ナウラを幸せにする自信は無いけど。俺は、ナウラさえ居てくれれば幸せだから。だから……」
 随分情けない台詞。だけど、どんな言葉よりも嬉しい台詞。
 レイウットはナウラが居るだけで、唯それだけで、幸せだと言うのだ。嘘偽り無く、本気で。
「ずっと、一緒に生きたいんだ」
 ぎゅっと抱きしめられる。
 居心地の良い『場所』。何処よりも安らげる『場所』。大好きな『場所』。
 答えなどとっくに決まっているのに、この男は本気で分からないのだろうか。
「今更何言ってるのよ。私以外の誰がレイの面倒看れるって言うの?朝は私が起こさなきゃ起きないし、実は結構怠け者でサボり魔だし、私の見てないとこに限って黒いしっ!!」
 分からないなら、分かるまで幾らでも言葉を重ねてあげる。
 信じられないなら、信じられるまで幾らでもこの想いを示してあげる。
「私しかいないじゃない。今さらこの『場所』、別の奴に譲ってやる気なんて無いんだからね!?」
 抱きしめるレイウットの頬に両手を寄せ、そっと包み込む。
 薄青の眼差しと澄んだ緑の眼差しが交わる。
「レイは一生、私の傍で笑ってればいいの!!そうやって、ずっと笑ってなさいよ」
 瞳が、声が、潤んでくる。
 何で、涙が流れるんだろう。悲しくなんてないのに。
「ずっと傍に居てあげるから。レイもずっと傍に居て」
 ああ、そうか。
 涙は、悲しい時にだけ流れるものではなかった。
「レイ以外の誰が、私と生きられるって言うのよ」
 薄青の瞳も潤んでいる。さっきも泣いていたのに、今日は随分涙腺が緩い。
 それでも、情けないとは思わない。この涙【宝石】は私の為のものだから、唯々愛しいだけ。
「もう、馬鹿ね。そんな顔して泣いてるんじゃないわよ」
 ああ、でも。
 こんな子供の様な泣き顔は反則かもしれない。こんな顔して泣かれたら、何もかも、抱きしめて許してしまう。
「本当に、馬鹿ね」
 そっと口付ける。
 涙に、頬に、唇に。
 何て、愛しい。愛しすぎて、もう言葉が見つからない。
 細い身体を強く抱きしめる腕。頬を包んでいた手を、一回り大きな手がさらに包み込む。
「「愛してる」」
 高い声と低い声が、優しいハーモニーを奏でた。


<2>

 其処は暖かかった。
 上も、下も。見渡す限りを覆う葉は、彼女の瞳の色と同じ澄んだ緑。大きな枝葉は、彼の身体を優しく包み込んでいた。
 まるで幼い頃、母の腕に抱きしめられていた時の様な安心感。何て心地良い。
 彼は優しい『腕』に抱きしめられていた。
 其処は、彼女と同じくらい安らげる、『彼女』の『腕』の中。
 優しい、優しい、『母』の庇護の中――――――



 羊水の波間にたゆとう胎児の様に安心しきってまどろみながら、意識は夢と現【うつつ】を行き来する。

 ―――とんとんとんとん。

 眠りの向こうから、優しい音が聞こえてくる。

 ―――ぱたぱたぱたぱた。

 とても愛しい音。

 ―――ガチャ。

 ああ、今日もまた朝がやって来る。





 目の前には、幸せそうな表情【かお】で毛布に包まって眠る幼馴染。
 これなら『恐い夢』は見ていないだろう。その事に安心する。
 しかし。
 それは良い。それは良いのだが、
「いつもいつもいつもいつもっ!!!!!あんたは起こされないと起きないのっ!!?」
 今日と言う日くらい、起こされずに起きようとは思わないのだろうか、この男は。
 蓑虫もどきな毛布を引っぺがし、耳を思いっきり摘んで、すぅっと深呼吸一つ。
「こんな日くらい自力で起きなさーーーい!!!」
 腹の底から出した大声が、眠りこける青年の鼓膜を容赦無く直撃した。



「ホント、相変わらずねぇ」
 階上から聞こえてくる昔から変わらないやり取りに、母親は呑気にお茶を飲みながら笑う。
「アレは一生変わらないだろうなぁ」
 優しい呆れ顔で、父親もお茶を片手に肩を竦めた。
 彼らの大切な子供達は、明日からも今日までと変わらず、こんなやり取りを交わしつつ日々を重ねていくのだろう。
 これまでも、これからも、二人一緒に。
「世は全て事も無し、だな」
「ええ、そうね」
 こんな幸せの形もきっと悪くない。





 宝石箱を引っくり返した星空。
 篝火【かがりび】で囲まれた空間をさらに囲む人々は、今か今かと待ち望む。
 今宵、満天の星空の下、星々の祝福を受け新たに夫婦となる二人が現れるのを。



「何だか、冗談みたいね。私とレイが結婚するなんて」
 真っ白な飾り気の無い婚礼衣装を纏ったナウラが、悪戯な瞳でレイウットを見上げて笑う。
 ランシルニアの婚礼衣装は、男も女も無垢な純白で、装飾も一切無いとても簡素な衣装。それは、『色』も『飾』も何も無いまっさらな状態から、二人で未来を築いていくという心の現れ。
「そっか?俺はずっと昔から決めてたよ。大人になったらナウラと結婚するんだって」
 そんなナウラの台詞に、同じく真っ白な飾り気の無い婚礼衣装を纏ったレイウットは気負う事無く応える。
 一瞬、ナウラは呆気に取られた瞳をレイウットに向け、そして、花開く様に微笑んだ。
 優しいナウラ。
 強いナウラ。
 そして、綺麗なナウラ。
 どんなナウラも、愛している。
 どんな時も、傍に在りたい。
「私、神様になんて誓わないわよ。私が誓うのはレイ。レイが誓うのは私。文句ある?」
 澄んだ緑は、いつでも強い光を宿す。
 彼女を探していた。彼女を求めていた。
 生まれたその瞬間から、誰かを探していた。
 誰だかわからない誰かを、それでも探していた。
 探して、探して。
 でも、本当は最初から分かっていた。その先に誰が待っているのか。
 遠い、遠い灯火【ともしび】をいったい誰が翳しているのか。
 いつだって、どんな暗闇も照らし出す光。
 迷う事無く、道を指し示す導【しるべ】。
 きっと君に逢う為に生まれてきた。
 生まれる前から、君だけをずっと求めていた。
「ないよ。あるわけない」
 華奢な身体を、遠慮無く抱きしめた。

 レイウットが己の耳朶から薄蒼の石のピアスを外す。
 ナウラも己の耳朶から緑の石のピアスを外す。
 レイウットは屈み込むと長い指先でナウラの耳にそっと触れ、今まで自分が身につけていたピアスをつける。
 ナウラも精一杯背伸びし細い指先でレイウットの耳をそっと引き寄せ、今まで自分が身につけていたピアスをつける。

 ピアスを交換し、互いの色を身に付けることで『私は貴方だけのものです』と宣誓し合う二人。無垢な衣装の中、互いの色だけが唯一の彩【いろ】。
 結婚して最初に染まるのは伴侶の彩【いろ】。これから、様々な『色』を身につけ、様々な『飾』も得ていく。今隣に居る二人で一緒に――――――
「ずっと一緒に年を取ろう」
 薄青の石のピアスに飾られた白い耳朶に、そっと囁きを落とす。
「ずっと?」
 緑の石のピアスに飾られた伴侶を見上げ、微笑む。
「うん、ずっと……」
 身体に回された腕が、強く抱きしめてくる。
 細い腕が抱きしめ返してくれる。
「「願わくは、死が別っても、共に在らん事を……」」
 心から、望む――――――



 あなたと二人 手を繋いでずっと歩き続ける
 幾度月は巡れど 天に在る星の輝きは変わらず
 幾度命が巡れど この歌も変わらぬ

 月が 星が 水が 大地が 愛する自然が 
 二人裂く敵となろうと 決して恐れはしない
 岩に裂かれる水の流れのように いつか再び巡り逢おう
 
 春を言祝ぎ 夏を惜しみ 秋を感謝し 冬を尊ぶ
 春の喜びを 夏の愛しさを 秋の恵みを 冬の厳しさを
 あなたとともに迎えよう 
 あなたとともに分かち合おう

 いつでも いつまでも
 共に歩こう 共に走ろう 共に生きよう 共に在ろう
 この命尽きるまで この魂朽ちるまで この惑星【ほし】が終わるまで
 未来永劫変わる事無く

 幾度時が巡ろうと この歌が全て
 我歌うは 愛しきあなたの名
 愛しい人よ どうかあなたも 我が名を歌って
 幾度星が巡ろうと この歌こそ全て

 この歌は願い この歌は祈り
 この歌は汝が名 この歌は我が名
 この歌に誓う この歌が全て



 ずっと、二人並んで歩いていこう
 ずっと、一緒に年をとろう
 ずっと――――――



Epilogue

 レイウットが狩の最中に大怪我を負ったと知らせが来た。
 新米の狩人を庇って、獣の牙に裂かれたと――――――

 なんて、彼らしい。
 その知らせを聞いたとき、ナウラは真っ先にそう思った。優し過ぎるくらい優しい彼らしい行動。まだほんの少年でしかない若い同僚を見捨てる事など、彼にできるはずがない。一度懐に入れた存在を決して見捨てられない人だから。

 だから、彼が庇った少年を責める気はなかった。真っ赤に泣きはらした目からなお涙を流し、レイウットの身体を背負って連れ帰ってくれた少年を宥める事さえした。
 だから、高熱で朦朧とする中、それでも最期まで他人【ひと】の心配ばかりしていた彼を怒れなかった。
 自分が庇った少年の事。
 子供に先立たれてしまう両親の事。
 もうすぐ生まれる我が子の事。
 そして、一人残して逝く私の事。
 結婚した夜、互いの腕の中で「ずっと一緒に年を取ろう」と約束した。
 約束したのに、約束したけど、ナウラの手を握り「ごめん」と謝る彼を泣きながら微笑んで許すしかなかった。 
「大樹の傍で待っていて。そこで私達を見ていて」
 ナウラの願いにレイウットは頷きで応えると静かに目を閉じ、二度と開かなかった――――――



 レイウットの葬儀が終わってすぐナウラは倒れた。
 誰もが彼女の心情を慮り、産み月間近の身体を心配した。義理の両親も息子を亡くした哀しみは同じなのに、夫を亡くした嫁を気遣い、その身体を労わった。
 レイウットとナウラは村中が認めるおしどり夫婦だった。平常であっても倒れて可笑しくないのだ。妊婦ならばなおさらだろう、と――――――
 しかし、ナウラはそうではないと知っていた。
 確かに、愛する夫を失った哀しみは、彼女から生きる気力を奪うほどだった。だが、お腹に我が子がいる状態だからこそ、決して哀しみに負けてはいけないと分かっていた。今の彼女は、彼女だけの身体ではない。彼女の不調は、我が子の生死を左右する。ナウラはそれを解っていた。
 だから、コレはそうではないのだ――――――

 最初に倒れた日から、ナウラはだんだん床から起き上がれなくなっていった。少しずつ眠りが永くなっていく。今では起きている時間の方が短い。
 短い目覚めている時間をナウラは子供の為に過ごした。自分の所為だと泣く我が子を宥める為に。
「泣かないで、貴方の所為じゃない。貴方は何にも悪くない」
 ナウラは自分の腹部越しに泣いている幼子を撫でた。優し過ぎるほど優しいこの性格は、夫から譲り受けたのだろうか。優しいこの子は、母親を緩慢な死に追いやっているのが他ならぬ自分だとずっと責めている。
 だから、ナウラはそれは違うのだと起きている間中我が子を宥める。
「何となく分かってたの、最初から。人の身が宿すにはあまりに大きな存在だって」
 大樹から離れた一片【ひとひら】の緑葉。この身に溶け込んだ瞬間、そのたった一葉が想像も付かないほどの『力』を持っている事を感じ取れた。そして、その『力』に人の身である自分は耐えられないだろうとも。
 ナウラは最初から解っていた。解っていて、産む事を決めた。
 だから、これはナウラの我侭。ココの所為じゃない。
「ねえ、一つだけ約束してくれる?」
 彼女が望むのは、唯一つ。母親なら、きっと誰もが我が子に願う事。
「幸せになって。レイウットと私の分もあわせて、三人分幸せになってね」
 それだけでいい。それだけで、十分だ。
「貴方の幸せを、祈っているから」



「ねえ、ココは無事?」
 やつれた頬、青ざめた唇。死相をその表に浮かべながら、それでもナウラは産まれたばかりの我が子の身を案じた。
 お産に立ち会った義母は、母親に良く見えるように産着に包んだ赤子を抱いて腰を屈めた。
「ああ、ご覧。元気な男の子だよ」
「良かった……」
 元気に泣く我が子を視界に納め、蝋よりも白い頬に喜びが浮かぶ。
「レイウットと同じ髪。ねえ、瞳は?私とそっくり?」
 優しい母の声に応えたのか、産まれたばかりで本来なら開くはずのない赤子の目がうっすらと開かれる。瞼の下から現れたのは、あの時の葉の彩【いろ】。母親そっくりの澄んだ緑。
 ナウラの瞳から熱い滴が零れた。
「嬉しい」
 嬉しいと繰り返し、彼女は静かに瞳を閉じる。
 もう一度緑の双眸が現れた時、これが最後だと誰もが解った。
 彼女は限りない優しさを湛えた双眸で我が子を見つめた、心に焼き付けるために。透けるような白い指が伸ばされ、柔らかな頬をそっと撫でた。指先から慈しみが溢れる。
「ねえ、ココ。愛しい子。
愛してるわ。
貴方は幸せに生きてね。
 レイウットと私と、ずっと大樹の傍らで貴方の幸せを祈っている」
 微笑を浮かべたまま瞼が下ろされ、そして、それは再び開く事はなかった――――――





 北からの風はいつもココに優しい。
 時に力強く背を押し、時に柔らかく抱きしめる。
「       」
 誰かの名を口にしようとして。でも、誰を呼びたいのか分からない。
 ココは北に視線を向けた。遠く極寒の地に立つ大樹まで見晴るかす様に。
「どうした、ココ?」
 訝しげなキーラの声に、夢から覚めたように我に返る。
「何でもないよ、キーラ」
 ココはキーラに振り向くと笑いかけた。キーラは疑わしそうな表情【かお】をしていたが、いつもと変わらぬ笑顔を見て追求を控える。多分、ココ自身にも分からないのだろうと、何故か解った。だから、何も聞かない事にした。
「……行くぞ」
「あ、キーラ。置いてくなよ」
 先に進みだしたキーラを追いながら、もう一度だけ北を振り向いた。
「       」
 唇から零れた誰だか分からない誰かの名は、音になる事なく大気に溶けた――――――



 ズット、大樹ノ傍デ貴方ノ幸セヲ祈ッテイル



END.





改めて人物紹介
ナウラ:
属性と色=風、赤。
髪=光に透けると金色に見える薄茶色。
瞳=澄んだ緑。
身長=160㎝に足りないくらい。
標準装備=緑の石のピアス。棍『蒼姫【そうひ】』。
得意技=素手、杖術、棒術。重い武器は苦手。(しかし、実は酒樽をあっさり抱えられるくらい怪力)新米兵士程度なら一撃で倒せる。
性質=優しいが故に強い人(逆では有らず)。少々(?)女尊男卑の傾向も?(私の中で「ナウラ最強説」が確定)。
備考=レイウットと生まれた時からの幼馴染で3ヶ月年上。主に突っ走るのはナウラ。


レイウット:
属性と色=地、緑。
髪=黄色。
瞳=澄み切った冬の空を切り取った薄青。(これが氷色に変わると要注意信号。キレた合図。キレればキレる程冷めていくタイプ←一番厄介)
身長=200㎝有るか無いか。
標準装備=薄蒼の石のピアス。弓矢。指先から肘くらいの長さの短剣2本。ブーツや膝当てなど、各所に投擲用の短剣を仕込んでいる。
得意技=弓。短剣。他も人並み程度にはこなす(基本的に苦手な得物はない)。喧嘩は強い方。余程相手が強くない限り、囲まれても全員倒せるくらい。
性質=ヘタレ(どきっぱり←酷)。でも、ヤル時はヤル。安心して背中を預けられるタイプ。
備考=ナウラと生まれた時からの幼馴染で3ヶ月年下。で、常にフォローにまわるのがレイウット。


ランディ:
髪=薄茶色。
瞳=澄んだ緑。
身長=180㎝強。
標準装備=両耳に緑の石のピアス。弓矢。長剣。
得意技=弓。剣。
性質=芯のしっかりした優しい人。怒らすと恐い人でもある。(にこやかな笑顔で相手の急所に刃を突きつけられます←この辺りしっかりレイに影響が/汗)。部族の年下の子達を弟妹のように可愛がっていて、特に無邪気に懐いて纏わりついてくるレイは目に入れても痛くないらしく猫可愛がりしている。
備考=レイの弓の師匠。100発100中の腕前。連射もできます。
ナウラ父の年の離れた弟(11違い)。ナウラとは10歳違いでナウラが両親を無くしてから一緒に暮す。ナウラの初恋のヒト。「大きくなったらお父さんのお嫁さんになる」のノリ(微笑)。ナウラを嫁にやるまで結婚しないと言っていたが、ガラを哀れんだレイウット母が説得。未来の嫁(希望)のナウラを引き取る事で確保(笑)。レイは先見の明のある母に感謝すべきである(爆)


ローズ:振られ人生16年(現在進行形)の少年。レイとナウラの友人。外見は胸のない美少女。故に女達に振られまくっている。中性体との噂も……。「冬迎祭」で警備担当者をやっているとき召雷に巻き込まれ神官に(笑)。現在進行形で不幸街道驀進中(爆)。赤光【しゃっこう】の一族。


カイリ:好きな子をいぢめるタイプのモテ男。レイとナウラの友人。女には振られるが男にはモテるローズ(本人微妙に自覚していない)に虫が付かない様、いつも傍にいて牽制している。本命がもう少し精神的に大人になるのを待っていたら神官になってしまった(笑)。某王子と違って理性が優る性質なので、このまま隣で見守るのも悪くないと思っている。赤光【しゃっこう】の一族。



おまけ(笑)「今までと全く変化の無い新婚風景」

「ね、レイ?アレ取ってくれる?次はソレね」
「あの~、ナウラさん?俺、まだ手伝わなきゃダメ?約束があるんだけど……」
「いいわよ~?別に。手伝わなくても」
「えっと、じゃあ、俺」
「夕飯いらないのね?」(にっこり)
「(しくしくしく)手伝います……」
「今から尻に轢かれてるわね~」
「うむ、実に見事だ」
(感心してないで助けて欲しい)





暴露話
春日と紅刃のネタは、当初ナウラと蒼姫で使おうと思っていました。

1.9、10歳頃、好奇心旺盛なナウラは国境に行ってみたいと言い出す。レイも当然付いて行く。
 子供達は大人に黙ってヴィリウゼン側の国境に。
2.国境で二人は深手を負った神官を見つける。
 運ぶにも、人を呼ぶにも一番近い部族からさえ離れ過ぎていて、癒すにはレイの回復魔法だけでは追いつかない。神官は手当ての甲斐なく息を引き取る。
 死ぬ間際、伴侶とも、恋人とも、我が子とも言える対=蒼姫を二人に託す。
3.神官を埋葬し、この事を告げに帰りかけた二人に、神官に深手を負わせた者達が追撃をかけて来る。どうやら、彼らは神官に接触した二人を消すつもりの様子。
4.ナウラが深手を負い倒れ、レイはナウラを庇い矢面に立つ。
 レイに一撃で死なない程度の攻撃を加え、嬲る男達。瀕死になりつつもナウラを庇い続けるレイ。
5.失いかける意識の中、レイを嬲る男達にキレたナウラが『蒼姫』を握り締めゆらりと立ち上がる。
 半身の死と共に眠りについていた蒼姫を叩き起こすナウラ。

「眠りにつきたる風の精霊よ!我が声に応えなさい!!全てを切り裂く刃を我に!!!」
 少女を中心に風が逆巻いた。渦巻く風は、集い、寄り添い、棍を軸に一振りの巨大な『何か』を形作っていき―――ほんの瞬く間の後、その小さな手に現れたのは風の刀持つ大鎌だった。
「レイは、殺させない」
 自分の身長よりも長大な『ソレ』を片手にぶら提げ、少女は男達と対峙した。
「貴方達が死になさい!!」

 ナウラ、蒼姫と契約。
6.大鎌の一振りで全てを血の海に沈めたナウラは、力尽き紅く染まった雪原に倒れ込む。
 よろめきながらも駆け寄り、抱き上げるレイ。
 眠る少女の手には一振りの棍―――大鎌の柄が握られていた。
7.自分も大怪我を負っているにも関わらず、ナウラを抱え集落に向かって歩き出すレイ。
 やがて彼らはランディ達に保護され集落に運ばれる。
8.目覚めたナウラは自分こそ死にかけた癖に、レイの心配ばかりして。
 だから、レイはナウラを護る事を自分自身に誓う。
 今は届かないけど、いつか届くように。

 ナウラがあまりにも最凶になってしまうのでボツにしたネタ。捨てるには何だったので、春日に再利用しています(笑)。因みにこのネタで行った場合、レイの石はナウラが蒼姫と相談して、蒼姫の髪=本体の欠片をレイにあげました。私は、書き直し後の「いつか届くように」の方がほのぼのしていて好きです(レイが可愛いから(爆))

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プロフィール

御月雪華

Author:御月雪華
自サイトにて、オリジナルと二次創作の小説を載せています。
蝸牛の歩みよりも鈍い更新速度ですが、興味のある方はどうぞお気軽にお越しください。

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